2010/4/6




 お前はもう、犯した罪を生きて償う事はできない。だから自らの命をもって償え。
死刑をという制度を端的に説明すると、そういう意味になる。人が作りしルールに則り、
国家が人の命を合法的に奪う。考えてみればなんとも残酷な制度である。

 わが国では死刑が存在する罪のほとんどは、他の人の命を殺める罪である。
つまり、人の命を奪った代償として自らの命を絶たれるという構図が一応成り立っている。
もっとも、今日の日本では、誤解を恐れずに言えば、殺した人間が一人なら、まず死刑にはならない。
とは言え単純に命の対価が命だというなら、昔のハムラビ法典に逆戻りだし、
事件の背景にある社会や、個別の情状が全く反映されない前時代的なシステムと言えなくもない。
私も大学で刑事法を学んだが、このバランスの斟酌が非常に難しい。

 ところで死刑と言う制度は必要だろうか。よく議論になる内容だが、私はいらないと考える。
奪ったものが命だと考えれば、自身の命をもって償わせるしかないという解釈も成り立たなくはない。
しかし考え方を少し変えて、奪ったものが人間の一生だと考えれば、本人の一生をもって償わせる、
すなわち終身刑でも十分ではないか。いくら犯罪者とは言え、国家が命を奪うと言うのはやり過ぎではないだろうか。
また昨今では死刑になりたいからと言って罪を犯す人までいる。
もはや今の時代、死刑は抑止力というメリットさえ失っているのだ。

 さて、工学の世界にはフェイルセーフという考え方がある。
例えば踏切が壊れた際は遮断機が下り、警笛が鳴りっぱなしになるようにするなど、
何かリスクが存在する際、万一の場合は必ず安全側にシフトするように設計するという考え方だ。
この事を法律に当てはめると、やはり死刑は止め、無罪の人を処刑するというリスクは回避できる法体系にすべきいう結論となる。






今日から一日一回、論作文の練習をする事にしました。
新聞社の筆記試験で出題されるのと同様800文字程度で。
本試験では手書きで一時間以内に完成させるという内容なのですが、
文章構成力を養うのに手書きである必要はあまりないかな、と考え、パソコン上でやることにしました。
その代わり時間は半分の30分に設定し、紙で出来ないコピペ入れ替え操作などは禁止にしています。
直接書く速度とタイピングでは後者の方が圧倒的に早いのと、
実際に紙で書く際は、一文字を追加するなどは困難なので、
こうしないと実際の条件に近くならないからですね。

テーマは今日のニュースの中から適当に選ぶことにしています。
今日のテーマは『死刑』ですね。どうだろ、上手く書けただろうか?



ちなみに今日もまた、こんな文章を受け取りました。





このたびは当社の筆記試験を受けていただき、ありがとうございました。
ご提出いただいたエントリーシートと筆記試験による総合的な選考の結果、ご希望に沿うことができませんでした。

せっかく志望していただきましたが、当社といたしましてもたいへん残念です。
低迷する景気の影響もあってか、今春は予想を上回る多くの方に応募いただき、例年以上の激戦となってしまいました。
しかし、「就職氷河期の再来」とも言われる厳しい時期に、新聞社受験へチャレンジしていただいた皆さんは、
今後もきっとたくましく人生を切り拓いていかれることと私たちは確信しています。
この経験を糧に、さらに充実した日々をお過ごしください。

当社を志望していただいたことを、重ねてお礼申し上げます。





ちなみにこの企業は例年「お祈り」はしないのが通例です(何




会社名はあえて伏せておきますが、この会社は私が最初の年の春から受けた唯一の新聞社です。
2008年の春、秋、2009年の春、秋と受けましたが、
全部筆記試験は通過し、東京大手町の本社にて面接を受けるところまでは行っていました。

だけど今回は筆記でサヨウナラです。
今までの私の人生では類似例がない、言葉では伝え難い悔しさを味わいました。



ちなみに二月頃、この会社で働く現役の写真記者の人に、こんな内容の質問をする機会がありました。

写真記者採用試験を突破するのに一番大切な事はなんですか?

すると記者の方からはこんな答えが返ってきました。

一回や二回落ちたくらいで諦めない事です。
実際、うちの写真記者は二回、三回と受けて通った人ばかりです。 
経済的な事情さえ許せば留年するのもいいし、別の会社行った後で受験するのもいいです。
写真記者の面接は写真部の人間が行うんだけど、写真部の人間なんて何人もいないんだから、
何度も受けに来たら、同じ人が面接を担当する可能性も高いです。
すると、ああまたコイツ来たな、みたいになって、熱意が伝わるという要素はあります。
そこで前回からの成長を見せられれば、ちゃんと評価してくれます。


ふむ、一理ある。
しかし、筆記試験は通過して何とか面接までこぎ着ける事がこの事の前提だ。

今年の場合、2010年3月に卒業した学生の中には内定先が無かった人も少なくなく、
特に昨年は、東大や京大、早慶などランク上位の大学においてもこのような学生が多数いた。
そういう人は新卒としての就職活動ができない以上、新聞社のような新卒既卒関係無い企業は人気になり、
全国紙などの試験は必然的にハイレベルな戦いになるという要因はあるにしろ、
ともかく今回、私はその前提にたどり着けなかった。


考えた結果の新聞社再々受験でしたが、こういう結果に直面すると
公務員で妥協していた方が正解だったかな、って考えてしまいます。
もっとも、今さらそんな事を言い出しても、もう遅いでしょうけどね。


ちなみに、この事以外に日記に書く事は無いのかって?

無いです。(キッパリ)

昨日と今日の筆記不合格は、流石に堪えたので、ずっと不貞寝していましたから。
そんな事している場合じゃないのは頭ではわかります。
わかりますが、何もする気が起きないくらいのである。

誰か助けてください。