2009/4/22 卯月二十二日





札幌市の街の中心である札幌駅を撮影したものである。
時計台やテレビ塔、赤レンガといった建物に比べれば遥かに新しい建造物ではあるが、
今ではそれらに負けないくらい、街の顔役を立派に果たしている。
近い未来、札幌まで新幹線が延伸してきても、おそらくこの光景は変わらないだろう。





何だ?今日は札幌駅ネタでも書くつもりか?と思われた方もいるかもしれないが全くそういうつもりはない。
ただ単に、今日撮った写真に文章をつけるなら、どんな文章をつけるかな、と考えた結果がこれだ。
何で日記でそんな事をやるのか。知りたい方は最後まで日記を読むべし。
もはや更新頻度が低すぎて、日記とは呼べないだろうと言う突っ込みは勘弁してくれ。


まず本題に入る前に、私の近況について書いた方がよさそうだな。
2007年には100件以上の日記を更新しているのに、
2008年後半、そして2009年に入ってから無更新状態が続いており、
日記でしか私の状況を知れない人にとっては、私が今一体何をやっているのかわからないだろうから。


2008年に就職活動に失敗したと共に、その余波で単位取得も儘ならずに卒業できなかった私は
2009年こそは就職先を確保し、早く私の能力を世の為に役立てたいと考えた。

まず、資格の面では技術士一次試験(電気電子)を取得したのをはじめ、
本当に君は法学部か?と言われんばかりの資格に身を包んだ。

例えば私が取得している電気系の資格を並べるとこうなる。

第三種電気主任技術者
第二種電気工事士
技術士一次試験電気電子部門
エネルギー管理士(電気部門試験合格)
伝送交換主任技術者
線路主任技術者
工事担任者アナログデジタル総合種
二級陸上無線技術士

残念ながら一陸技を取りこぼしたのが悔やまれるが、
この資格だけを見たら私が法学部の人間と言っても誰も信じないだろうさ。


しかし一方で、昨年技術系やりたいと思いながらあちこち受けまくった結果、
私は技術者になりたいと言うよりは、技術を持って世の中を変えたいのだと言う結論を得た。

でもそうなると、理科系専門過程を経ていない私には厳しい道だ。
いくら通常の文系人間を遥かに凌駕する自然科学や技術に関する知識を持っていても
大学で4年間あるいは大学院も含めて6年間、きっちり一つの事を専攻してきた人間に敵うはずがない。
小学生の頃から、新しい発明や科学上の発見で世の中を変えようと思っていただけに残念だが、
こういう道を歩いてしまった以上仕方ないな。


だがしかし、技術の力を持って社会を良い方向に変えていくのは無理でも、
それ以外の方法を持ってそれを実現することはできる、私は昨年秋頃からそのような考えに転身していた。
その結果私が目指したのが新聞記者だったのだ。

文章を書くのは好きだし、写真も撮れる。
色々な事に興味を持てるし、あちこち歩き回って情報を集めたり、時には待つ事も苦にならない。
今の自分の適性、興味、能力、そしてやりたい事を鑑みるとそれが一番最適解かな、と。

ということで実は4月の頭から、あちこちの新聞社を受けまくっていた。
新聞社は筆記試験で9割が落とされると言われているが、
資格試験を受けまくっており誰よりも試験慣れしている私がそこで落ちることはなく
一社を除いてすべて筆記試験は通過した。

今の私ならおそらく、資格試験攻略法だけじゃなくて、
マスコミ筆記攻略法についても書こうと思えば書けるだろう。


が、しかし・・・・・・面接の壁は厚かった。
ただでさえ新聞社の入社試験は狭き門なのに、この不景気も重なって入りにくさは益々上がっている。
特に私は、採用人数が極めて少ない写真記者職で応募したため、尚更だ。

あちこちの会社に途中でふるい落とされたが、一社だけ最終面接までたどり着いた。
そしてつい数日前にその会社を受けた来たのだが・・・・・・今の今まで音沙汰がない。
新聞社は面接から結果連絡までのプロセスが非常に早いので、落ちたと言う事ですな。



それからというもの、もう他の会社を受ける気力が無くなった。
夢が現実になる寸前で泡と消えてしまったショックが大きいというのもあるが、
一番大きいのは、新聞社の採用試験と、それ以外の企業の採用試験では、着目する点が全く違うという事かな?


新聞社の採用試験の門戸は、おそらく全ての業種の中で一番開かれている。
年齢制限にさえ引っかからなければ、学部学科大学名、そして留年浪人は不問。
後は筆記の点数さえ取れれば、誰でも面接まで来ることができる。

一方他の企業は、多かれ少なかれそれらの要素を加味するので、
私のような経歴だと、そこで他の人よりマイナス査定されてしまう。
だから下手するとエントリーシートすら通らないと言う憂き目にあうわけだ。

とはいえ実際のところは私も、新聞社だけ受けるのはリスキーだと考えたので
去年よりも速いペースで色々な会社を受けたけど、なかなか先の段階に進めなかった。

そしてこれ以上日程を詰め込もうにも、4月の中頃までは、
ほぼ毎日のように何らかの予定が札幌と東京で交互に入っていたのでそれもできず、
そう考えるとこうなってしまったのは仕方ないかな、と言う感じである。




と言うことで冒頭の写真は、撮った写真に文章をつけて
写真に意味合いを持たせてみよう、という事をやりたかったのであるが、
良く考えれば昔の私は、わざわざそんな事を特筆せずとも、
ここの日記でそういう事を延々と繰り返していたわけだね。

文章を書くと言う事についても同様だ。

でも、最近は全然文章を書かなくなったから、明らかに文章表現力が弱っているのが自分でもわかる。
昔の私の日記を見て「AAAさんの“死”格の日記は面白かった」と言われる事が今でもあるが、
今、自分が読んでいて面白い文章を書けるかと言われれば、ちょっと自信がない。

でも、新聞社に入ろうとする人間がそれはまずいので、
また少しずつでも文章を書く練習を兼ねて、日記を更新していこうとは思う。


閑話休題


今日久々に大学に足を運んでみたら、部室に新入生がやってきていた。
もう既にたくさんの新入生が部室を訪れていると風のうわさには聞いていたが、私が会うのは今日が初めてだ。
18日までは、札幌と東京を行き来する慌ただしい毎日だったからね。


今年の新入生は、私がストレートに卒業していれば会う事はなかったであろう人達である。
私が卒業しなかったのはあくまで「納得できる就職をしたかったから」であるが、
どういったきっかけであれ、せっかく何らかの接点を持つ事になったのならば
お互いにとっていい関係を築ければいいな、とは思っている。
要は「袖振り合うも多生の縁」と言う事だな。





という文章を書いていて早速収穫があった。
実は私、今この日記を書くまでは「袖触れ合うも他生の縁」が正しいと思っていたからだ。

新聞社の筆記試験を受ける以上、マスコミ漢字対策本を読むなどそれなりに勉強し
このことわざの誤用として良く「多少の縁」が使われる事は知っていたが、
きちんと正確に覚えていなかったわけだ。

一方で、このように日記を書いていて気づいた事は印象に残るから、もう絶対に忘れないだろう。
そしてこの日記を読んでいる皆様にも、そういう人はいるのではないかな?


やっぱりある程度定期的に、文章は書かないとだめですな。
というオチがついたところで今日の日記は終了。




ところで、新聞社の筆記なんて、この程度の人間でも通るわけだと言う事が露呈されてしまいましたね。