2007/7/31 文月三十一日






自治体法の試験など軽く終え、少し部室にてのんびりしていると
y@5u5hi氏から声をかけられる。

y@5u5hi「ちょっと色々飲みたい事があったし、ちょっとビアガーデンでもいかないか?」
AAA 「うーむ、明日は商法と民法の試験。日程的に厳しいなあ」
y@5u5hi「そうか残念だ、他の人に聞いてもみんなそういうんだよな。明日ならともかく、って。
     俺はちょっと人生の分岐に関わる話も出てきたし、今日ちょっと飲みたいんだけど」
AAA 「まあ、他の人も試験があるからねえ、仕方ないんじゃない」
y@5u5hi「結局ほかにまゆよさんだけしか行く人が見つからなかった。
     サントリーのビアガーデンのチケットを某所から貰ったし、少しなら奢ってもいいかと思ったんだが」
AAA 「・・・・・・ちょっと気が変わった。私もお供させていただきます」
y@5u5hi「あれ?テストはいいのかい?(笑)」
AAA 「まあ、帰ってから勉強すればいいだけの話さ」

とまあ、良くわからない流れでホイホイ着いていってしまったわけである。


18時半過ぎ、大通公園にてまゆよさんと合流し、今日はサントリーのビアガーデンへ。






最初に本日話した内容は、y@5u5hi氏の人生の分岐に関わる話であったが、
その内容を他の人が私の日記で知る、ということになれば少々信義則違反のような気がするので内容を自粛する。



関係ないけど、少々話を変えようか。


人は生まれたときは皆、無限の可能性を持っている。
法律学的に言えば『期待権』、経済学的に言えば『時間的価値』とでも言えばいいか。
その後も暫くは、生まれた環境や育くまれる環境に左右されど、限りなき可能性のある未来へ向かって歩くことができる。

小学生くらいになれば、人にもよるだろうが漠然とした将来の夢を持っていてもおかしくないだろう。
プロ野球選手、宇宙飛行士、お菓子屋さん、学校の先生、お医者さん、会社の社長、
夢は人それぞれだが、まだ未来は殆ど束縛されていないため、
この頃プロ野球選手を夢見た人が、将来宇宙飛行士になるかもしれないし、
学校の先生を夢見た人が、将来会社の社長になるかもしれない。
小学生くらいの段階では、誰がどんな未来を歩むかなんて、全く解らないだろう。

これが高校生くらいとなると少し話が変わってくる。
進学する高校も偏差値によって区分され、自分の社会での相対的位置というものが見えてくる。
さらには文科系及び理科系の選択や、進学及び就職の選択など、
自らの未来の範囲を絞り込み、それを目指して走り出す事を考えなければならない頃である。

大学生ともなればさらなり。特に文科系の大学生においては、
その多くが大学4年の終了と共に企業に就職し、新たなライフステージを歩むわけである。

小さな頃は限りなき未来の可能性があった子供が、成長し、一つの道を選ぶ。
誰もが通らなければならない過程ではあるが、ここでの選択は
今まで経験しなければならなかった選択よりとても重い意味を持つ。

就職活動を開始する前までは、世の中に数多くある企業それぞれに採用される可能性をもち
無数のパラレルワールドのどれかを選択できる立場にある。
しかしその中から1つを選んだ時点で、それ以外のパラレルワールドを生きられる可能性が閉ざされる事になるのだ。

夢が現実へと変わる瞬間である。

夢は誰でもいくつでも抱く事はできるが、複数の現実をこなすのは並大抵の人間には不可能だ。そこにギャップが生じる。
たとえ叶う夢が、ずっと願った夢であったとしても、
その夢に100%の確信を持っているのでない限り、迷うだろうさ。



さらに関係ない話を続ける。ここで御伽噺をしよう。

----------------------------------------------------------------------------------------------------
ある街に、白黒写真をこよなく愛する男がいた。
高校時代から写真を始めた彼は、写真に対する独自の哲学を持っていた。
写真はプリントして写真展で発表してこそ写真であると考え、
さらには他の写真家との交流を常日頃から積極的に行っていた。

そんな彼も大学4年生になり、進路を決めなければならない時期がやってきた。
彼は普通に就職し、普通に勤務して人生を送ろうと考える一方、
自分に会社勤めは合わない、これからも写真家を生業として生きていければいいという思いも、心のどこかにあった。

しかし実際に就職活動をしてみても、なかなか内定が決まらない。
そんな中、彼のアルバイト先の社長から、こんな打診があった。

「君には10年、20年先を見据えて、わが社で社員カメラマンとして働いて欲しい」

彼は突然の申し出に驚いた。
ある意味では願っても無いことである。
しかしそれゆえに迷った。
これを引き受ければ、自分はまさに写真家として生きていく事になる。
もし、写真家として生きていくのならば、願ってもない申し出だ。
しかし裏を返せば、これを承諾する事は、自分の未来を写真家と生きていく事に決定する事になる。

彼は言う。
「結果的にはおそらく、この申し出を受けることになるだろう。しかし突然の事で心の準備ができていない」
----------------------------------------------------------------------------------------------------

・・・・・・御伽噺はここで終わっている。
でもこの物語を読んだ人は皆思うだろう。彼には既に写真家としての人生が待っている事を。



ふう・・・・・・関係ない御伽噺で日記を埋めるのも変なので、話を元に戻そうか。



y@5u5hi氏と私がいろいろ話していると、私はまゆよさんに不意に質問された。

「AAAさんは写真家にはならないんですか?」

はあ、考えた事もなかったねぇ。
しかし、良く考えれば、私も御伽噺の人物と同じ事を考えなければならないのだ。
私の場合は自分を“文科系の大学生”とは考えていないから、余計にややこしい。

「今のところはあまり考えた事は無いけど、もしやるなら報道が適当だろうね」


さて、一口に職業カメラマンと言ってもいろいろある。
本や雑誌などの印刷物掲載用の写真を撮影するカメラマン、
結婚式や成人式などの人生の節目の記念撮影を行うカメラマン、
学校の卒業アルバム製作に関わるカメラマン、イベントを撮影するカメラマン、
さらには料理店のメニュー用の写真を撮る、グラビアやヌードを撮る、などその種類は枚挙に暇が無い。

その中で私が一番向いているのは、報道だと思うのである。
私の写真の撮り方が、芸術性よりも記録性重視、撮影機会を増やす事でいい画を狙う、など
一番この分野に適合していると考えるのよね。あくまで自己評価だが。

もっともこの分野は、なろうとしたってなれるものではないから
今後何らかの原因で、私が本気でそっちを目指す事を考えない限り、そういう未来はないだろうと思う。


でも逆に考えると、今の私が最も可能性の高い道はなんだろうねぇ?
御伽噺の中の人は、なんだかんだ言って“カメラマン”と言う可能性が一番候補だった気がするが
私には主だった将来の一番候補と言う物が何も無い。
来年の今頃、どうなっている事やら・・・・・・。



その後は3人で、写真部の過去の黒歴史についてや、その他諸々について雑談していた。




ビールも進み、夜も更けてきた。
そうだ、折角だからまゆよさんに例の件を打診してみるか。
今なら話の流れとしても不自然じゃないし。

「今月11日、noct-氏と共に夕張に花火を見に行くのだけど、一緒に行きません?」
「えー、その日ちょうどさっきバイト入れちゃったんです」

まあ、そんなもんだよな、残念。
夕張もまた、ひたすらnoct-氏と花火の撮影に徹する事になりそうだ。


そしてビアガーデンから帰り、テスト勉強を開始したわけだが・・・・・・

こんなの終わるか!!

ああ、やっぱりホイホイ釣られてついていくんじゃなかった。
だが・・・・・・しかし・・・・・・。



シャープ・レシオ分析を行うと、どうなんだろう?
超短期でみると、1を上回っているような気がするのだがねぇ。
もっとも、様々なリスクに長期的に備えておくのが最善と言えば最善なのだが。

今回の場合で言えば、あらかじめ直前に勉強を持ってこなければ
テストのリスクを最小限に抑える事ができたのだが。

まあ、世の中いろいろ好機というものがあるわけであり、それがいつ来るかなんてわからないからな。


そういえば、まゆよさんにこんな事も聞かれた。
「いつもはもっといろいろ撮影しているのに、今日はあまり撮影しないんですね」

私だって、年がら年中撮りまくっているわけではない。(とも言い切れないが)
撮影がまずいときは自粛するし、他にもっと優先する事があれば優先するし、いろいろ考えているのさ。