2007/7/14 文月十四日





我が母校月寒高校の学校祭。略して月高祭。

自分が卒業した高校の学校祭に足しげく通う人は多いのか珍しいのか知らないが、
私はこれでもう8回目の月高祭だ。(現役時に3回、卒業後5回目)

もっともこの学校の教員なら、これよりさらに多い人などザラにいるだろう。



昨年までは1人でここを訪れたが、今日はK.K氏と共に来た。
4年前から昨年までは、K.K氏はこの時期滋賀県に居たので、来られなかったが
卒業して札幌に帰ってきた今、やっと余裕ができたようだ。


毎年、入口にはこんな感じのオブジェがある。毎年違う。



さて、まずは当時の担任に挨拶に行こうかと思ったら、都合のいい事に玄関で受付をやっていた。

私は事あるごとに高校を訪れているので、(センター試験受けるのに卒業証明書必要だしね)
なんだかんだ言って年に2回くらいは、高校3年当時の担任であるソクラテスマニアに会っているのだがな。

もっともソクラテスマニアは健在だったが、来る度に少しずつ顔見知りの教員が消えていっている。
4年も経てば、他の学校に転勤する人もそれなりに出てくる頃だ。

ちなみに私、高校時代から(正確にはその前からだが)色々な意味で目立っていたので
当時いた教師達は、皆私の事を覚えていてくれているようだ。



ソクラテスマニアから、今日の学校際に来た当時の教え子(私からすればクラスメイト)は、
6名(私とK.K氏を除けば4名)だと言う話を聞く。

意外だ。当時40名弱いたクラスの中から6名が今日の月高祭に来たわけだ。
卒業後、既に5シーズン目である事を考えれば、結構な高率かもしれない。

そういえば昨年の日記で、こんな表現をした。

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学校祭で、同期で卒業した他の人たちを見ることは殆どない。毎年来ているのなんて多分私だけだ。
きっと他の人たちは、過去を振り返ったり懐かしんだりする暇なく、今を必死に生きているのだろう。
でも、私はそうじゃない。そうだったら、今頃ここにはいないはずだもの・・・・・・。
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しかし今年は違ったわけだ。何故だろう?
大学の4年間の過程にも一段落ついて、過去が懐かしくなったのだろうか?



他にも、大学で教職課程を履修し、ここに教育実習に来た人の話も聞いた。
意外な人が教職を志していたりすることに少し驚いた。

私も教職課程をとってみたかったが、科目はやっぱり“理科”がよかった、
と言うかもし教師になるなら理科教師以外考えた事が無いのだが、
法学部に在籍している都合上、不可能だったのだ。こんなところにも歪みが出ている。





学校祭の様子その1。廊下にて。


学校祭の様子その2.体育館にて。


もし機会があるなら、この学校の行事を仕事で撮影させていただきたいと思うわけだが、
既に契約している業者の絡みがあるから現実には無理だ。



しかし、どうもあまり祭りが面白くない。
何か数年前は、もう少し学校祭を楽しめたような気がするのだが。
井の中の蛙が大海を知ってしまったからなのか、はたまた昔よりも何かを楽しむスキルが退化したのか、
それとも、浪人時代の孤独には大したことの無いものでも夢のように映ったのか、
はたまた、もう昔のような青春を謳歌できた心を失ってしまったのか・・・・・・真相は定かではない。




しばらく校内をうろついていると、偶然当時のクラスメイト4名に遭遇した。
男女それぞれ2名ずつだが、皆それなりに変貌していたようだが、根本はあまり昔と変わっていないようだ。
私も彼らに「随分見ないうちにすっかり大人っぽくなったじゃん!」と言われる。

意外だったのは女の子2名が、私に対して挨拶してきたことであった。

高校3年当時、クラスの男子とは仲が良かったが、女子の間には深い対立があった。
言葉を交す事が無いのは当然として、意思を伝達する必要がある際も他の人が間に入るような始末。
その後クラス会で会ったときにも、私は女子と一言も話さなかった。

昔から女子に対してこんな状態だったわけではない。
高校2年までは希薄ながらも一応コミュニケーションは取れていたのだから。
同じ理由で、クラスメイトの名前を全て覚えることが出来なかったのも、高校3年の時が初めてだ。

そんなことだから、今ここで会った女の子も、絶対に私の事を無視すると信じて疑わなかった。


さて、そういえば何でそんな事態になったんだ?
当時はそれが当たり前の状態だと思っていたが、
冷静に考えるとよっぽどの事をしない限り、こんな状態はならないと思うんだ。
これをいい機会に、少し思い出してみよう。

高校3年初頭の私、ちょうどパラレルワールドに突入したとか喚いていて、精神的にも恐ろしく不安定だったときだ。
授業をまともに受ける気も無かったし、そもそもきちんと通学する気すら失せていた。
深夜から早朝5時までパソコンを叩き続け、朝起きられずに遅刻し、
ちゃんと登校しても授業中は寝ているという高校生にあるまじき人生であった。

そんな状態だから当然私は、クラスに溶け込む気が毛頭無かった。
それどころかこんな事を考えていた。

------ここはパラレルワールドの世界だから本筋の世界とは関係ない、だからこんなところで誰かと仲良くしようが
   それは夢の中の出来事と一緒で、元の世界に戻ったら無意味になることでしかないのだ・・・・・・。

今思えば恐ろしく狂っているような考え方だが、
当時パラレルワールドに溺れていた私は本気でこんなことを考えていたのだ。

そして女の子が私に挨拶しようが話しかけようが無視。
さらにはクラスパフォーマンス(全員参加のクラスの行事)を放棄。
あの年代の女の子はみんなで一緒に何かを作り上げて楽しむ事に非常に執着するので
それに大して断固として非協力的な態度を貫く私の存在は非常に不快だっただろう。
(ただ、クラスパフォーマンスについては、強制参加で成績にも関係なく
 練習のために無理やり放課後や休日が潰され、仕切りたがる人間にグダグダ言われると言う
 デメリットを感じていたのは私だけではなく、他にも同じ事を思っている人はいた)

もっともこれも、当時の私の立場からしてみれば、

------全員参加は建前だろう?そもそも私がそれに出なかったところで皆さんに迷惑かけています?
   私など最初からいないものとして考えればいいじゃない。
   第一、本来だったら私はこのクラスにいない世界の方が正しいんだから・・・・・・。

・・・・・・当時どうして誰も心療科の診察を受けることを勧めなかったのだろう?


こうした経緯を鑑みれば、この確執の種はあきらかに私が蒔いたのだね。

しかし当時の私のパラレルワールド論は、周囲に対して嫌がらせをする為に使っていたわけじゃなく
私の精神状態が少し狂っていたせいで正常な判断が出来なくなっていた、
すなわち心神耗弱の状態にあったわけで、そこのところをもう少し何とかできれば、
たとえ納得はしなくても、理解した状態で高校3年生の1年を送ることができた様な気がする。




そういえばソクラテスマニアに、「この4年間の間に成長したな」と言われた。
何か、そう感じさせる判断材料が何かあるのだろうか?と思ったが、
こうして過去の自分の失敗を認め、現実に向き会う事ができるようになったのが成長かな?

例えば浪人時代の私は、あくまでパラレルワールド論の延長であり、
「もしあそこでパラレルワールドに突入していなければ、浪人せずに現役で北大くらい入っていたはずだ」
と言う考えが根本にあった。だからパラレルワールドで新たに得た道である“資格試験”の勉強はいくらでも行ったが
大学受験の勉強については、元々の世界なら既に達成しているはずと考え、責任転嫁ばかりだった。

そして去年の日記を見ると、こんな事が書かれていた。

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私が昔、高校生時代にパラレルワールド論を唱えていたのをご存知だろうか?
もちろん現実には時を巻き戻すことはできないし、並行世界を求めることもできない。
ただ、それを頭では理解していても、私の深層心理ではきっとパラレルワールドなのだ。
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つまり去年の段階では、やはりパラレルワールド論が残存していたわけだ。


今年はどうか?
まだ日記の上の方で、法学部に在籍した事を“歪み”と表現しているように
完全に並行世界の存在を封印できたわけではないが、
少なくとも“分岐”の時点まで戻ろうと考える事は無くなった。
(もし〜だったら、と考える事はあれど、それを現実に実行したいとは思わなくなってきた)

おそらく現在の大学生活という確固たる世界を確保したから、
やっとこの世界が現実である事を認めることができるようになったのだと思う。

そういう意味では、大学でいい人達に出会った、と言う事だよな。
もしこれが昨年のゼミの人間のようなDQNばかりだったら、おそらく絶望は継続中だっただろうよ。




ふう、ただの高校の学校祭の日記にする予定だったのに、何か凄い事になってしまった。
そろそろ日記の内容も本筋に戻そう。


そういえば玄関で会ったY水先生とも少し話す機会があった。
すると卒業後、大学を再受験することを勧められた。
これについて語るとまた文章が飽和するので、また別の機会に、かな?




14時、一般来場者への公開の終了時刻だ。K.K氏と共に校門を出る。


以下2枚の写真はあえて白黒にしてみた。当時からいる教員でペルー人他2名。
ペルー人は何故か我々をスルーする。他の卒業生とは話すのに、何故か我々だけ。


5年前のクラスメイトのうちの2人とでも言っておこうか。
今思えば別に敵対的政策を執る意味など何にも無かったのだが。


さてこの2枚の写真は、学校の敷地から1歩出た所で校内に望遠レンズを向けて撮影したものだ。
私は公道にいるので、法律的な問題点は何も無いし、誰かにゴルァされてもそれを主張するだろう。
昔の私ならたぶんそういう戦い方は出来なかった。今は普通に出来てしまう。
これも成長といえば成長か。社会的には退化しているような気がするけど。





時間はまだ14時過ぎ、日が暮れるまでには時間がある。
一緒にきたK.K氏も、この後まだ時間があると言うので何かしようかと言うことに。

最初にセオリー通りに近くにあるヴィクトリアステーションに入ろうとしてみたが、
先ほどの2名が店内にいるのを確認、行くのを止める事にした。

続いてチタン氏を召喚してみる。しかし残念ながらチタン氏も忙しいようだ。


ということで(どこがと言うことでなのか知らないが)、K.K氏と共にドライブを開始する事にする。
行き先は適当で、方角さえ定めずに出発した。

喜茂別方面、小樽方面、厚田方面など色々な方向を提案しつつK.K氏と話していて、
行き先が何故か苫東地区に決まった。もはや無茶苦茶である。

先ほどまで居た月寒高校の目の前を通過し、北野通を走る。
その後は国道36号線へ移動し、南へ、南へ。


島松沢にて一旦休憩を挟む。ここは北広島市と恵庭市の狭間なので
参議院選挙のポスター掲示用看板がすぐそばに2つあった。

AAA  「しかし、そろそろ食糧が欲しいな。月高祭でも結局何も食べられなかったし」
K.K「ではどこかに入ったらどうだね?俺はどこでもいいよ」

うーむ、しかし恵庭市内の店はあまり知らないし、千歳までいっても吉野家くらいしか思いつかない。
しかし元々はヴィクトリアステーションで何か食べる予定だった事だし、あまり空腹のまま走りたくない。


ということで私は恵庭市街、千歳市街を一気に抜け千歳のReraに到着。

AAA  「ではここでラーメンでも食べることにしよう、中に『千歳ラーメン博覧会』がある」
K.K「ラーメンを食べるためにReraとか、初めてだな」
AAA  「おっと、じゃあ普段は何の目的で来るのだね?」
K.K「普通、服とか買うために来るんじゃね?」
AAA  「・・・・・・そうね」

ちなみに私がいつもReraに来る時の目的は・・・・・・敢えて言うまい。
(『写真撮影』とか『駐車場利用』ならまだかわいい方だ)


ラーメンを食べ終えた後は、遠浅方面へと進路を取る。

AAA  「先ほどから何かソフトクリームが食べたい気分である」
K.K「ここら辺なら、道端にソフトクリーム売っている店があってもおかしくないな」

しかしソフトクリームを売っていると思わしき店は見つからない。
そんな事をやっているうちに苫東地域に入る。
周囲は見事に工業団地、もしくは整地されているが開発がされていない原野。
間違いなくこんな所にソフトクリームは無い。


少しここで撮影していくのもいいのだが、何も無い原野でK.K氏を待たせる事になるし
あまり天気もよくないので、苫東中央ICから日高自動車道に入る。

苫東中央ICか、こんな場所にICあっても普通の人は使わんな。私も初めて使ったよ。
無料区間の沼ノ端東まで走った後は一般道に降り、苫小牧の市街地を目指す。
それにしてもソフトクリームを売っているお店は無いなあ。


そろそろ空も暮れてきた。我々は、イオン苫小牧ショッピングセンターに入る。
ここならソフトクリームもあるだろう、きっと。

あれ?いつの間にかソフトクリームが目的になったのだ?


空がいい具合に蒼い。とりあえず今日はここを到達点としておこう。

ちなみにソフトクリームは、店内のマクドナルドで調達したのであった。



帰りは新しい車の高速慣らし運転を行うため高速道路経由で。

以下は美櫛の日記より流用

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と言う事で苫小牧東から高速に入る。 
後ろから来た車に追い越されるが、その車が目の前に入ってくると同時に加速開始! 

まずは『かもめ』級。 
まだまだ大分余裕がありそう。まあこの程度は小手調べですね。 

更に『(海を越える)白鳥』級。 
あっという間に隣の車を抜き去りました。 
流石白鳥クラス、優雅です。 
でも、まだいけそうです。 

そして『(魚沼丘陵を飛ぶ)はくたか』級。 
景色が後ろに吹っ飛んでいきます。そして誰もついて来ません。
良く考えると、この速さ、前面展望では未知の世界なのですな。
本家『スノーラビットさん』は前は見えませんし、『葛西帝國のジェットコースター』も同じです。 

しかし『はくたか』はやはりスピード感よりも先に恐怖がきます。
自らの持つエネルギーそのものに対する恐怖と、赤い閃光の恐怖、
万が一の事があれば、どちらにしろ一発で吹っ飛ぶ事は確実です。 
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流石ガソリン車である。前のディーゼルはいくら頑張っても『かもめ』が限界だったからな。

しかし『はくたか』は、隣に乗っているK.K氏も流石にやりすぎだと言っていたので早々に自粛する事にした。
多少早くても、無意味に疲弊するのではたまらん。


そんな事もあり、あっという間に札幌へ。

良く考えてみると特に意味の無い走行ではあったが、まあK.K氏も私ほどではないがネタ許容度が高い人間なので、
(私と一緒にほしみ駅〜上野幌駅間を歩いた事がある)
まあ良いとしよう。



時間を遡る事はできない。高校生に戻る事はできないし、当時の時間は返らない。
しかし昔一緒だったクラスメート達が居なくなったわけではないし、
私がかつて居た場所は、訪れればそのままの姿で残っている。
全てが時間と共に手の届かないところに行ってしまったわけではないのだ。

だけど、あの時だからこそ味わえた時間があることも確かだ。
しかしあれからもう4年以上、いつまでも過去ばかり後悔している暇は無い。

今の私に出来る事は、今を大切に生きて、将来の自分にはそういった後悔をさせないことかな。
進路、努力、生活、学習、訓練、日常、健康、経験、友情、恋愛・・・・・・いろいろあるけどね。

こういう事を改めて気づかせてくれるだけでも、月高祭を訪れた意義はあるよね。