2007/5/22 皐月二十二日





昨日の日記の続きである。

私がどういう未来を歩んでいれば社会の流れにわざわざ逆らう事が無かったのか、
言い換えれば私はどういう未来なら社会の普遍的な流れに従って人生を過ごせたのかを少し考えてみる。



やはり一番私にとって転機になった場所と言えば高校3年次の類型選択なので
私がパラレルワールドに入らなかったと言う世界を前提にしたパラレルワールドでも考えてみよう。
ややこしいが、簡単に言えば「もし私がきちんと高三時の類型選択で理科系を選んでいたら」と言うことだ。
事あるごとにパラレルワールド論を持ち出している私ではあるが、
こういった検証(妄想)をしたのは是が始めてだ。

パラレルワールドのパラレルワールドとかはややこしくなるので、以下表現を統一しようと思う。
本日の日記の中で出てくる私の仮想世界を『元の世界』、今の現実を『パラレルワールド』とする。
現実的には仮想世界がパラレルワールドなのだが、
私の日記では常に“誤った選択によって齎された世界”をパラレルワールドとしていたので
便宜上こちらの方が都合がいいのだ。(電流と電子の流れが逆だというのと一緒だな)




まずは3年進級時だが、当時の理科系クラスは6〜9組であり、理科系を選んでいれば私が3組に入る事は無かった。
だから、クラスの環境などもガラリと変わることは間違いない。
当時好きだった人は7組だったから、確率4分の1(実際はもう少し低いだろうが)で一緒のクラスになっていた。

文科系コースを選んだという自分のアホさ加減に絶望し、半分世捨て人と化す事も無かっただろうから
真面目に学校に通い、それなりに勉強をしたことだろう。
もちろん理科系コースを選ぼうが腐ってしまった可能性はあるが、
少なくても自分が納得して選んだ道である以上、
瑕疵ある意思表示で選んだ今の未来よりはその可能性が低いと考えられる。


ただ反面、今のように資格試験を志す事は無かっただろう。
2006年8月30日の日記にも書いたように資格試験は、
好きだった女の子と並んで、あの頃の荒れた自分の最後の心の拠り所だった。
そういった経緯が無ければ、資格試験とは無縁だったことだろう。
(もちろん後に別の経緯で縁が出来るかもしれないが、それを言い始めるときりが無い)
よって、現実にはこのサイト『“死”格』が作成され、
こうして今この文章を見ている方と交流する事が出来ているが、
もし私が望む未来を選んでいたとしたら、そういったことは無かったはずだ。

このサイト以前に運営していたサイトで日記を書き始めたのも、パラレルワールドに突入してしまったからだ。
それ以前は日記を書くなどと言う習慣などなかった。
だから、高校2年以前の出来事は、記憶以外には僅かにデジカメの画像だけが補完してくれる程度である。


もちろん元の世界においては、私の心の持ちようもまるで変わってくるはずなので
パラレルワールドでやったような、ATフィールド全開政策も行わないだろう。
よって学校祭、球技大会などのイベントとの関わり方、更には人の繋がりも当然大きく変化するわけである。
その結果、誰かと恋が芽生えたりしているかもしれないなど様々な影響はあるだろうが
そんなところまでシミュレートしようとするのは無理なので、省略しよう。

あ、でも私があの子を好きになったのは高校1年の頃であり、分岐点より前か。



時は流れ2003年1月、現役時代の大学入試センター試験が行われた。
この先の進路を左右する最初の関門であり、ここで高得点が取れれば上位の大学を目指す事ができる。

しかしここに来ると、実は文科系カリキュラムが何だとかいう話はあまり意味を成さない。
文科系カリキュラムをとり、ニヒリズムに溺れていたパラレルワールドにおいてすら
室蘭工業大学にてA判定を出しているし、
理科や数学などの理科系科目についても、
履修していないにも関わらず、履修した奴等の大半より良い成績だった。

その状態でもそうだったのだから、ニヒリズムに陥らずにきちんと勉強していれば、
このラインよりは上の点数を取れていたのは間違いないだろう。

ただ、私には大きな弱点として『英語』の存在があるわけで、
これは理科系課程を取っていたからといって是正できるかどうかは疑問だ。
しかし私が虚無的になっていなければ、
多少はこの壊滅した状況に危機感を持ち、補正する方向に作用することが考えられる。
仮に補正できなかったとしても、ならばその分は他の教科で勝負すると言った積極的な方策でカバーすると思われる。

都合のいい希望的観測のような気もするが、パラレルワールド突入時より絶望的な要素が考えられないのだ。



2003年2月、国公立大学前期日程。
もし元の世界にいたとしたら、おそらく私が第一志望としたのは北海道大学薬学部、
第二志望は北海道大学理学部化学科だろう。
いや、パラレルワールドでも願望としてはこうであった。
ただ、成績が明らかに足りなかったので、最後まで受験を迷ったという経緯があるが。
(それが“トマムの悲劇”にも繋がった)
室蘭工大と北大の壁はとてつもなく大きいのだ。

ただ、高校受験に失敗した反動で東大を志したπ氏とは異なり、
私が仮に元の世界を突き進んだとしても、東大や京大といった本州の上位大学を目指すことは無かっただろう。
当時の私の発想かつ学力レベルを勘案すると、北大が最高ラインかつ最低ラインだ。
北大に入学する事ができればそれで満足しただろう。

既に仮定の分岐条件が多すぎて、私のCPUは飽和状態なのでこの辺で止めておくが
もし第一志望である北大薬学部に入学することができ、きちんと進級、卒業、薬剤師試験合格となれば
2007年のちょうど今頃、想像上の私が存在していると考えられる道は次のどれかだと思われる。

・大学での研究が面白いので大学院に進み、未来に向けてさらなる知識、技能の習得に励む。
・ちょうど自分が興味がある研究ができる企業を見つけて就職し、企業のさらなる繁栄の為に力を尽くす。
・薬剤師免許を利用して手っ取り早く稼ぐ為、過疎地に薬剤師として赴任する。
・高校時代に少し興味があった法律を新たに学ぶ為、法科大学院に進学。3年後の新司法試験を目指す。
・薬剤師免許があればいつでも就職できるから、とちょっと一休み。ニートとして社会を傍観者として眺める。


なんか混沌としたパラレルワールドより単純明快である。
最後のニートコースはともかくとして、これなら全て社会の流れに従って生きていけそうだ。






と、ここまで読んだ人なら少し妙な違和感があることに気づくはずだ。

パラレルワールドにおいても室蘭工業大学でA判定、
さらには北海学園大学でも工学部なら入れたはずであり、
高校の類型選択で文科系を選んだことと、技術職を望むのに法学部に入ったのは切り離して考えられるはずだ、と。

確かに良く考えるとそうだ。
目的と手段の乖離は、パラレルワールドが関与しているとも言えなくは無いが、直接の決定要因ではない。


第一志望の大学に入れなくて、押さえで受けた大学に入ると言う事はよくある。
実際、北海学園大学に入る人はそういう人も多いだろう。
でもその多くは、“もしあの時第一志望に合格していれば”と思うことはあっても、
そのことが原因で後に深刻な乖離が発生する事はあまり無い。

私の場合は、その第一志望と押さえの間に構造的な欠陥があった。
普通の人は、第一志望と第二志望以下は、偏差値や入試難易度の差があれど、学部が極端に違うと言う事はまず無い。
工学部と法学部を受験するなんて言う変な事は、やらん。


何でこんな事になったかと言えば、ひとえに“北大が最高ラインかつ最低ライン”と考えていたからだ。

東大、京大、東工大など、北大を上回るような大学は私の眼中に無かったと同時に、それ以下も眼中に無かった。

今でこそ、日本中飛び回るようになり、どこでも生活できると思っている私だが
高校時代はろくに北海道から出る事をしなかったので、道内以外は考えなかった。
(北海道人の地元指向の強さは、道外に行く機会があまり無い生活が影響していると思うのだ)
だから、地元にありながら国立であり、総合大学であり、やりたい研究ができるという点では、北大以外に無かった。

それ以下を考えなかったのは、やはり偏に立地条件及び私のやりたい事の問題だろうか。

私は薬学部に行きたかったと言え、薬剤師になりたかったわけではない。
だから薬剤師養成課程である道医療大や道薬科大は選択肢に無かった。
それならば北大の理学部化学科の方が良かったわけだ。

しかし残念ながら、壊滅的な英語がある限り北大への進学は不可能であり、
また、どうしても英語をやる気にもなれなかった。

かと言ってその一つ下の理科系大学は室蘭工大だが、北大とは色々な意味で差がありすぎた。
当時、室蘭に住むことは考えもしなかったし、かと言って札幌から通うには、鷲別の駅から遠すぎる立地。
まだ札幌と言う街に抱かれて暮らしていた私には、無理な選択だった。

実は立命館大学の理工学部も視野には入れていた。しかしこちらは類型選択の問題でアウト。
当時の立命館大学は、高校で数V数Cを履修していなければ受験が出来なかった。
つまり文系課程を取っていた私は、たとえ合格点を取れるのであっても(というか取れたが)
受験する事ができなかったのである。
受験の時だけでも数V数Cを履修していた事にしてくれないかと担任に頼んだ記憶もあるが、当然無理。


ということで私は、札幌にある大学の中では比較的ましな方にある北海学園大学を選ぶ事になった。
その中身がどんな物であるかなど、全く考えずに。

--------(以下、北海学園に入ろうとして入った人には大変失礼な文章が書き連ねられています)----------

月寒高校にいた当時、私の周囲では、北海学園大学は『墓場』と言われていた。
私も高校時代はそう考えていた。あんなところは、国公立大学に入れないような無能が行く場所だと。

それから月日が流れ、自分が入る事になった時は愕然とした。
もし仮に入るのだとしても、せめて現役で入っておきたかったと思った。
(現役時代も法学部法律学科に余裕で合格していたが、入学金すら払わずに蹴った)

自分の不甲斐なさを呪った。いっそ室戸岬からSTEPしようかとも思った。
入学書類に濃硫酸をぶっかけてグチャグチャにしたりもした。(自宅に濃硫酸があるのは仕様です)

中身を見てみても、やはり墓場という印象は拭えなかった。
いや、入学前から北海学園には色々と出入りしていたので、
とうとう墓場の中の人になってしまったか、という感じだった。

ただ一つだけ違ったのは、墓場の中も玉石混合だと言う事。
確かに無能は無能だが、優秀な教授や学生もいるようであり、それは救いであった。

--------(とりあえずそろそろ人を無能呼ばわりするのはやめます)----------



まあ、そんな事から目的と手段の乖離が生まれたわけだが、
私が法律学や政治学をやるつもりが無いのに法学部に入ったかと言えば、そういうわけではない。
本当に法学をやるつもりが無いなら、ネタだとしても法学部なんて受けないよ。
(やりたくも無い文学部は、ネタでも受けなかったもの)

ただ、もともと私の志望は理科系、技術系だったのだし、
法学だけやってそちらの分野に就職するのでは、昔から想定してたコースと大きく外れる事になる。
別に外れるのはいいんだ、でももしそちらの道に進むのなら
やはり法学だけではなく化学や電気学、薬学などの理科系の学問も修得してみて、
どちらの方が自分に合っているのか、確認する機会が欲しいのだ。

理科系を志した人間が、理科系の学問を修得する機会を与えられることなく
文科系の大学に入ってしまったと言うだけで、そちらの就職先に絞られてしまう、これだけは我慢ならぬ事なのだ。



しかしもし、元の世界にいたとしたら、私は純粋な理科系になっていただろうか?
おそらくなっていないだろう。理科系学問をメインにおきつつも、法律学だの経済学に手を出していただろうさ。

だって、理科系を望んだ私の高校時代の考えは
「理科系も文科系もどちらもやりたい。どちらもやりたいから、選ぶのは理科系だな。
 文科系の学問は独学でも出来なくは無いけど、理科系の学問は独学では限界がある。
 個人では高価な実験機器を買い揃える事や、薬品や設備を扱う事はできないからな。
 だから、大学で学ぶのは理科系学問、個人的に学ぶのを文科系学問にしよう」
だったから。

だからこそ、工学部だけの室蘭工大ではなく、北海道大学や立命館大学などを望んだのだ。



そんな事をしているうちに月日は流れた。
薬学部は六年制になり、司法試験はロースクール経由になった。
高校時代以前に抱いた夢は、時間の経過と共にオプションのプレミアムが剥がれて行くように
次々と実現可能性が消えていった。

それでもまだ、時間的価値はまだまだあるんだと妄信している私がいる。




〜若いと言うのはいい事だ。いつまでも夢を見ていられる・・・・・・。


そしてSQ日になってから、無価値になった買い玉に気づいても、もう遅い。