2007/4/29 卯月二十九日




昨日、ちょっと無理をしすぎてしまったせいで体調が崩壊し、
今日は布団の上で一日を過ごす羽目になってしまった。

起き上がって何かをするのも億劫だが、ただただ寝ているのもつまらないので
今日は普段書かないような内容の日記でも書く事にしようか。


これは私のプロフィールである。
大したことは書いていないので、あまり見る人もいないだろうが
以前、ここを見たある人から
「趣味の欄に音楽鑑賞ってあったけど、どんな音楽聞くの?」
と聞かれた事がある。

確かに私の普段の様子を見ている限りでは、音楽鑑賞をしている様には見えないだろう。
また普段から「日常生活に音楽はいらない」と言っているし、ボイスレコーダーは持っても
iPodや携帯型MDプレイヤーのような音楽再生機器は一切持ち合わせていないし、
MDやCDなどを持ち歩いて再生するわけでもない。
ここから私の音楽の嗜好を推察するのは困難だろうし、寧ろ音楽が嫌いなのではないかと思われても不思議ではない。


ちなみに私が外で音楽を聴かない理由は主に外からの情報をシャットアウトしたくないから。
音と言うのは外部から情報を取り入れることができる手段の一つであり、視覚の次くらいに重要な因子である。
そこで音楽を聴いてしまうと、救急車の接近や踏切の鳴動などを始めとした大切な音の情報が
うまく得られなくなってしまう可能性がある。
そういった音の情報に敏感でありたいから、外では音楽の中に身をおかないわけだ。
車の運転中も同じ理由で、ラジオやCDをかけることは無い。

と言う事で私が音楽を聴く場所は、専ら自宅の中だけと言う事になる。
だからPC、更に言えば外部HDDの中にだけ音源データが入っていれば良いわけだ。




さて本題。“私がどんな音楽を楽しむかだが”なかなか想像し辛いと思う。
そして多分、何故!?と思うだろう。

ちなみにいくら鉄ヲタだからって、蒸気機関車の汽笛やVVVFインバータの音とかを
音楽だと言って聴いているわけではないので悪しからず。
(モーター音は列車に乗っている時に楽しみこそすれ、わざわざそれ以外で聴こうとはしない)



「時代」「やまねこ」「トーキョー迷子」

わかる人ならこの3つのキーワード(と言うか曲名だが)でわかるだろう。
わからない人でも、検索エンジンに入れてみれば解決するわけだが、さらにヒントを言えば

「空と君のあいだに」「地上の星」「ヘッドライト・テールライト」

これでわかりましたね。
そう、私が良く聴く曲は中島みゆきさんの曲である。
意外だと思う人が多いかも知れないが、私の言動を良く聞いていると
彼女の作詞した歌詞の中からの引用が時々ある事に気づくだろう。



中島みゆきさんの曲は、聴く人によって大きく解釈が分かれる歌詞が特徴的だ。
抽象的・比喩的な表現が多いので、聴いた人に解釈が委ねられ、
その人の感性や境遇などによって、全く別の心象風景が映し出される事も珍しくない。

面白いエピソードとしては、中島みゆきさんの歌詞が某所で国語の試験問題として使われたのだが
その問題を、中島みゆきさん本人が解けなかったというものがある。
厳密に言えば作詞者の意図した解釈が真の正答であるはずなのだが、
出題者が別の解釈をして問題を作成したため、こういう事が起こったわけだ。
(もっとも、それを意図して創っているのだろうと私は思っているが)

彼女の曲には失恋に関する曲が多いが、失恋を経験した事が無い(?)はずの私でも嵌る理由もそこにある。
単なる恋絡みの歌ならば、世の中に五万とあるが、彼女の曲はただの失恋ソングにとどまらず
絶妙に皮肉が利いていたり、強烈な社会風刺が入っていたりと、
私のような捻くれた人間にとっては、聴いていて心地よい。


以上の内容を、どこかで話した事はおそらく無かったと思うが
何となく熱に魘されていると、こうした内容を書きたくなったので、ここ限定で表明してみる事にする。
別に誰かに知っていてもらう必要があることじゃないし、多分今後も表で明言する事はないだろう。



ちなみに、私がカラオケが好きじゃないのも、この事が少し関係している。
アニメソングやネタソングなどを除くと、歌詞を把握していて歌える曲が多いのは、中島みゆきさんの曲である。
しかし、私が彼女の曲を歌おうとすれば、無理な裏声を使わなければならず、様々な不条理を伴う。
いくら絶対音感があって音程を取れたとしても、裏声では思うような声質を確保できないし、
オクターブを下げたり、移調して歌うのは、好きじゃないのでやりたくない。

特に、メンバーに女性がいる時は最悪だ。
アニソンばかり歌っていても、『巫女みこナース』のようなネタに走ってもドン引きされ、
かと言って女性ボーカルの歌を歌うのも聞き苦しい。
(言っておくが、私が歌える男性ボーカルの曲は、皆無だと言っても過言ではない)
つまり私の持ち駒では何をやっても手詰まりの状態である。
だから万一カラオケで女性と同席してしまう事があれば、
自分は歌わずに聴き手に回り、そして写真ばかり撮っている。(これもどうかと思うが)

もっとも、何でもあり且つ替え歌大爆発で盛り上がれる高校時代の友人とのカラオケや、
『鉄道唱歌』をみんなで大合唱できるようなヲタ同士でのカラオケなら、全く問題は無いのだがな。
場の空気が“流行”という名の多数派の暴力に支配されたカラオケが大嫌いなだけだ。
(ただ、私が個人的に女の子とカラオケに行く機会など皆無であるため、
 カラオケで女の子がメンバーにいるような場合は必然的にそうなる)



さて、他にも局所的には好きな曲、良く聴く曲はあるとは言え、
一つのアーティストで、いくつもの曲を聴くのはやはり中島みゆきさんの曲だけだな。

ちなみに逆に、嫌いな曲というのは私の場合あまり無い。
別にどんな曲を聴かされようが、趣味が合わないから不快だ、ということは殆ど無い。
だから私といるときは、別に私に気を使わずに好きな曲をかけて頂いてかまわない。
(大音量で、とか、就寝時に、とかは曲の趣味の問題とは別だから、そういうのはやめてね)

ただ例外が一つだけある。コード進行やメロディがあまりにも本則から逸脱しており、
歌詞やリズム云々を論じる以前に、音楽として成り立っていないような曲は大嫌いだ。
表世界に出てくる曲の99%以上は、これに該当しないのでまず問題は無いが
もし、極稀に存在するこれらの曲を聴いてしまうと、激しい嫌悪感や不快を超えて、脳波を撹乱されてしまう。

また、ヘッドホンをして大音量で聴いている事による「音漏れ」も止めていただきたい。
特に電車内では、せっかく走行音を楽しんでいるのを妨害される事になるのでなおさらだ。
もっともこちらも、マナーの問題であり、曲の趣味の問題とはまるっきり別問題だがな。