2007/3/21 弥生二十一日





3月21日 水曜日 春分の日(祝日)

北海学園大学では卒業式が取り行われた。

私は撮影スタッフとして現地に赴くことになった。


歴史に「もし」、そして投資家に「たられば」は言ってはいけないのはわかっているが
もし、私が高校卒業時に現役で北海学園大学に入学していたら、(合格はしていた)
そして、私が青い夢を見続けていなければ(と言っても今も青い夢を見続けているがな)、
この卒業式が自分の卒業式になっていたパラレルワールドが存在していた筈だ。


会場は毎度おなじみのきたえーる。式場にはスーツの男子学生と晴れ着の女子学生がいっぱい。

色とりどりの晴れ着は華やかではあるが、やはり和服には黒髪が似合うと思う。
茶髪の奴や金髪の奴はせめて卒業式の一日くらい色を戻して来いよ。
そして例のごとくまたnoct-氏とこのネタで盛り上がる。

式典があと少しで開始するので、式場内に入る。手前はグリークラブ。


式典の最中は正直暇である。この間の写真など殆どアルバムには掲載しないので
式の様子を座って見ていようが、会場の外で迷惑にならない程度に遊んでいようが構わない訳だが
私は無意味に式の様子を撮影していた。多分下から見るとその挙動は目立つ事だろう。

真正面から見るとこんな感じか。教授勢揃い。

卒業生側を撮るとこんな感じ。結構父母席にも人が入っているみたい。


そして学長の在り来たりでつまらない話、在校生代表の何かおかしな立場から話しかけている送辞、
卒業生代表のやる気のない棒読みの答辞が行われ、式はいよいよ閉幕を迎える。
その間我々は会場の外に待機し、卒業生が出てくるのを待つ。

ここで一旦、たくま氏とカメラを交換する。
どうやらたくま氏が業者の方から借りたデジタル一眼は、
文化祭のときくらいから露出が壊れているものでまともな写真が撮れないらしい。
普段からマニュアルで撮影している私なら、何とか使いこなせるかな?と思ったものの
そう甘い物ではなく、一枚もまともな写真が撮れなかった。
何か前よりますますおかしくなっている。

ササキさん、壊れたカメラはちゃんと直しましょうよ・・・・・・。


その後は外に出て、会場から出て行く卒業生を撮影する。
この仕事を1年間やっていると、結構な数の人と、お互い名前は知らない物の顔見知りになっていたりして、
工学祭でも会いましたね、とか、学校祭でも撮ってもらいましたとか、そんな事を言われる事がある。
つまり撮られた側は、アルバム用に撮影された事を覚えているわけだ。

そしてそこで、ある卒業生に「最後にプロの方に撮ってもらえるとは感激だなあ」とか言われ
いや、私はプロではないぞと思いつつ、しかし失敗や下手糞な出来栄えは許されないと言う事を考えると
私に求められているクオリティは、撮られる側からすれば、
プロに対するそれと変わらないのだなと再認識した。

ここら辺のスキルアップが来年に向けての課題だなとは思うわけだが、
さらには後継者の確保と言う問題も抱えているわけであり、一筋縄ではいかなさそうだ。
新しく入っている人に、今の、写真部の中でも精鋭部隊で構成されている布陣と
同じだけの技量を期待するのは無理だろうし。

もっとも最初はできなくとも、やる気と好奇心があれば、あとは成長するのは早いと思う。
来年度の出来るだけ早いうちに、そういう人材をスカウトしないとな。



チアリーディング部では、卒業する部員を胴上げしていた。まあこの写真は失敗作だが。
きちんと撮れた写真は、アルバムに掲載する可能性があるので、極力ここに載せないようにしている。


卒業式終了、ちょっとここでコーヒーブレイク!?アルバム委員が誇る精鋭メンバーである。



卒業式が終わっても、私の仕事は終わりじゃない。
卒業記念祝賀会に潜入して、撮影すると言う業務が残っている。
これが終われば、今年度の卒業生に関するアルバムの撮影は全て終了、後は編集作業を残すのみとなる。


会場内はこんな感じ、しかしフリーパスなので卒業生以外もけっこういるみたい。

一番右が法学部名物教授の『II野』先生。『II野』の名前は一度だけ私の日記に登場しました。覚えていますか?
今日もII野先生は相変わらずで、女子学生の写真ばかり撮っていました。


祝賀会中に撮影した写真は、ほぼ全てがスナップ写真なので、上の二枚を除いて掲載を控える。
一方で、私がやっていた事も盛り上がる人たちの合間を縫って撮影を繰り返すという
パーティー会場で撮影するスタッフの業務そのものであり、特筆すべき事なし。
あまりここら辺について書くと、「美しくないなあ」などの暴言を吐きそうなので止めておく。

そして3時30分頃、祝賀会は終了した。



卒業生に対して私から何か言うとすれば、学長の挨拶などのように長くて面白くないのは嫌なので次のようにでも。


皆様、卒業おめでとうございます。大学を卒業した後、皆様は様々な世界へと飛び立っていくわけですが
希望される職業、職種に着く事はできましたでしょうか?
おそらく第一志望の企業には入れなかったり、または現段階でも就職先が見つかっていない人もいるかと思われます。
この北海学園大学、北海道においてはそれなりに知名度がある大学ではありますが
旧帝大を始めとした国公立大学や本州の有名私立大学と比較しますと、
やはりいろいろな意味で見劣りするのは否めません。
企業によっては、大学名だけで書類選考で落とす企業もあり、悔しい思いをした人もいるでしょう。
しかし大学の卒業は終わりではなく新たな始まりに過ぎません。
大学に入るとき、そして在学中に努力が足りなかった分は、これから努力すればいいのです。
先日、宮本邦彦警部(北海学園大学の卒業生です)が、東武東上線のときわ台駅付近の踏切で、
線路内に入った女性を助けようとして殉職するという事件がありました。
彼は自らの命を賭して警察官としての職務を全うしました。
彼のご冥福をお祈りするとともに、皆さんも偉大な先輩方に負けぬよう
それぞれ与えられた場で最大限の力を発揮してください。
これから数年後、数十年後、皆さん方が社会で活躍される事を心より願っております。


うまくまとまらないなあ。やっぱりこういうの苦手です。









話は突然変わるが本日の夜、私と債務者の親御さんとの間で電話が行われ、会合の場所や日取りを決定した。

お互い言葉遣いこそ丁寧だが、その会話は明らかに通常の関係において行われる物ではなく、
東西冷戦を思わせるような重々しい雰囲気である。

親御さんを半ば強制的に引っ張り出しての交渉、こんな解決方法には頼りたくなかったが
今現在、最も穏和に行える方法がこの方法なのだ。


民事事件においては、「裁判までいったら負け」という格言がある。

これは一般論としてであり、
「今回の件で私の手元に証拠が薄く裁判所に持ち込んだら敗訴する」と言うような具体的な事柄ではない。

どういうことかと言えば、裁判になってしまったら、どちらかは判決に納得しないで終わる事になる、
もちろん裁判が開廷してから、和解という方法もあるが、
その前に相手との話し合いでお互い納得がいく決着があるのなら、それに越した事はない、
だから、裁判という解決方法を選ばないとならなくなってしまった時点で
最悪の決着方法へまっしぐらな道を選んでしまった事になる。そういう意味で負けなのだ。

そういう意味では今回の件は、私にとってはいい勉強になるかもしれない。


ところで今回の件について、少し考えてみる。
私の方は失う物は何もなく、もし予期できない最悪の事態が起きても債権を失うだけだ。
しかも協議がまとまらない段階で失うわけではなく、その後法的手段に訴えると言う手が残されている。

一方債務者の側からすれば、今回の件によって既に様々なものを失っている。
金を借りている事実が親に発覚し、さらには人間関係が私や他の債権者の共通する関係で
人脈まで崩壊しかけているわけで、ダメージが大きいのはおそらく向こうだろう。
ただ、彼がそうなったのは自業自得だし、同情はしない。
債権債務が発生してから私が怒りの内容証明を送るまでには、十分すぎるほど時間があった。
私が催促しない事により、彼の心の中に悪魔が生まれてしまったと言う解釈も出来なくはないが、
それは私の落ち度として責められる事柄になる事はあれ、
彼が債務を返済しない事の免罪符にはなり得ない事は前にも述べたとおりだ。



そして内容証明郵便の件で共闘し、今回の件でも協力を頼んでいたセルシウス氏から

頑張れよ

とメールが来た。本来なら今回の協議において同席を願おうと思ったのだが
債務者の親御さんより出席拒否を喰らってしまった。

セルシウス氏も、今年度の北海学園の卒業生であり、先ほどの卒業式及び卒業記念祝賀会に出席していた。
彼は新年度から帯広の地へと赴き、勤務する事が決まっている。
私は彼に高校時代から大変お世話になっており、今回の内容証明の件でもいろいろな方向から助力をいただいている。
そういう意味でもきっちりとこの件に決着をつけなければならない。

私にストレートな未来があったなら、ここが私の卒業式。
4年間の出来事に終止符を打つのには相応しい時期だ。
この会合で、奴にきっちり引導を渡してやろう。
そして私も、今までの自堕落な生活を改め、新しい世界へと旅立とうと思う。