2007/2/11 如月十一日




本日午後、一通の速達書留が届いた。
信書の中身についてはあえて書かないが、
この郵便が、比較的余裕があった私の時間を、一気に忙しくする事になった。

もっとも、このような郵便が来る可能性は想定してあったが、
実際に来て見ると、その要求による作業量は恐ろしく多いことに気づく。

郵便が到達してからは、休む暇なく過去の領収書を漁る。
と同時に、封印していたOutlookExpressのメールデータをインポートのち検索
2002年以降のメールデータの発掘を行う。
さらに2004年の12月からのほぼ全ての資金の動きが記録されている帳簿を用意して資金の流れを徹底的に洗う。
手元にある20冊近い通帳も引っ張り出す。

次いで書きかけ含めた過去の日記データを掘り起こし、
不鮮明な点は今までずっと撮り貯めたデジカメの写真を参考にする。


私は過去の記録をかなり残しているので
本気で調べようと思えば、かなりの情報をサルベージできるというような事を前に日記で書いたが、
前述の書簡の到着により、洒落じゃなくとある過去の情報を
何としてでも引っ張り出す必要が出てきてしまった。

しかし、たとえ残された記録的に分析調査が可能であっても
その情報それぞれは完全に断片的なので、そこから何かを得ようとするためには
途方も無い作業量が必要になるのだ。

さらに、もう4年以上も前のことを掘り返さないとならない為、少なからず情報の消失、逸散がある。
例えば銀行取引の一部は、通帳に記帳するのを怠っていたため
当該期間に行われた取引は全て纏められ、個々の取引に分解する事はもはや不可能である。

パソコンのメールはほぼ全て残っているが、携帯電話を使って行われたメールのやり取りは
古い方のデータは削除されてしまっており、もうその内容を知る術は無い。
さらに通話によって行われた内容は、元から証明する手立ては無い。

領収書についても、私は一切捨てないので、過去の物が残ってはいるはずなのだが
家の中が散らかってしまって、どこに行ってしまったかわからなくなった物、
残っていても、感熱紙の寿命によって表示内容が消えてしまった物、
これらのデータは得る事が出来ない。(捜索は引き続き行うが)

デジカメデータは全て完全な状態で残ってはいる物の、
日常の行動全てを記録するレベルでの撮影を行っているわけではないため
何気ない日常においては、撮影枚数0の日というものがあり、データとして使うのには無理がある。

その点、全ての金の流れを複式簿記で記録した帳簿は、
金の流れの究明については申し分ない活躍を見せてくれるのだが、
如何せん作成開始が2004年の12月なので、それ以前の記録を探る事は出来ない。
それ以降については、かなり助けられたがな。

例えば立替金で検索すれば、立替金の発生及び返済について全て一発で調べる事が出来、
何月何日、誰にいくら立替払いを行い、いつそれが戻ってきたかがたちどころにわかる。
もっと早くにこの帳簿を作っておけばよかった。



さて、この作業を行うために過去の資料を漁っていると、いろいろと懐かしい物が発掘された。
特に高校時代にパソコンでやり取りしたメールの内容を見ると
いろいろな意味で胸が締め付けられる思いだ。

こんな未来が待ち受けているとは知らず、無意味な自信に溢れているメール、
好きだった女の子と共通の友人に仲を取り持ってもらおうと送った必死なメールなどなど
見ていて切なさと悲しさと痛々しさを感じる。

しかし、今の私が過去の私の文を読む事はできるけど、逆は無理だからな・・・・・・。



あの頃は持っていた大切な物を今はいくつも失った。
その殆どはもう取り返せない物だけど、取り返せる物が一つだけ残っている。
その一つは他の大切な物に比べたら取るに足らないものだけど、
それさえ取り返せないというのは悲しすぎるじゃないか。
そう考えると今私が行っているのは、過去からの撤退戦なのかもしれない。


しかしここ最近、今回の必要に迫られての過去発掘に加えて、
ふと過去のデジカメデータに手をつけてみたり、高校時代の日記を再構築してみたくなったり、
知人の家で何故かバック・トゥ・ザ・フューチャーのビデオを見せられたりと、
ずいぶんと過去について思い返させられる事柄が多いなあ。
何かのフラグだろうか?

これが3流ドラマなら、昔の憧れの人に再会とかそういう展開がありそうだ、と言うかただの私の願望だ。
そんな願望を4年間持ち続けていたが、そう現実は都合よくいかないのよね。

でも、今回の事で過去の発掘のデータに成功してうまく事が進めば、
何かが起きるような予感がする・・・・・・死亡フラグじゃなければいいけど。