2007/10/18 神無月十八日





理由も無いのに浜益へ来てしまったわけだが、
今思えば本日の憂いを予感していたのかもしれない。
すっかり日が落ちた柏木海岸では、数名の釣り人たちが思い思いに釣竿を差し出していた。



所用を足しに丘珠空港へと向かった私だが、丘珠に広がる広大な農地を見ていると
何故かまた無性に走りたくなってしまったので、そのまま札幌大橋を渡って当別方面へ。


石狩当別付近で、踏み切りを渡る。
石狩当別は札幌近郊区間だし、もう少し訪れていてもいいとは思うのだが、
あまり当別町を鉄道で訪れたことが無い。いつも車で通過するだけだ。
今度、ゆっくりこの町を見てみたいと思う。

とはいえ当別町は南北に長く 石狩太美や石狩当別などの駅がある場所は、南側のごく一部に過ぎない。
北はといえば、浜益村(石狩市浜益区)と新十津川町に接している。
浜益から滝川へと抜ける国道451号線が、当別町を経由するのもそのためだ。

そういえば、当別を縦に貫く道道28号を通して走ったことがないな。
いい機会だ、走ってみるか。


浜益まで64km、ちょっと有名な『道民の森』もこちらへ。

国道275号線の分岐点から道道28号線に入る。
ちょっと市街地を抜けると、あっという間に道幅が狭くなる。
それでも本州の道と比べれば格段に良好なのだがな。

しかしこの道道28号線は、良くある普通の道道とは少し違う姿を見せる。
一つはやけにあちこちで道路工事を行っている事。
片側交互通行が終わったと思ったら、すぐにまた別の片側交互通行、それが何度か繰り返される。

そして行きかう大型車の多い事。何台のダンプカーとすれ違い、また同じ方向に走っているのだろう。
さて、この道の先に何かあったか?道民の森くらいのものでは・・・・・・

あ、そうか!当別ダムだ。
この道路と並行して流れる石狩川水系の当別川に、ダムが建設されるのだ。

詳しくは札幌土木現業所のページを見ていただくとして、
実はこのダムも、数年前は反対運動が行われたと言う事実があるダムなのだ。
一時期、反対派の住民が、札幌駅前や大通などで、ダム建設反対の運動を行っており、
その時は私も、このダムが必要かな?と思ったが、結局着工される事になったのだ。
(ダムの是非についての議論は、非常にハイレベルなためここでは省略する)

ともかく、ダム建設のために今後さらに大型車の通行が多くなる、
だから道路を改良しているのね、理解した。


道道11号線との交点付近で、やっとダンプカーを追い越し、ハイスピードで突っ走る。
アップダウンやカーブが連続するが、きついカーブはあまり無い。
通行する車の量も少なく、快適な走行ができる。


国道451号線との交点である。国道275号線との交点から34分で到着。
前半、片側交互通行ばかりだったのと、トラックの後ろを延々走っているのを考えるとやけに早いな?

ここからは国道451号線を浜益方向に爆走する。他に通行する車はなし。
何故か今日はスピードが愛しかったので、少し本気で走った。

こういう道を本気で走ると、何か生きている事を実感できるような気がする。
運転すると言う事は、何だかんだ言って死と隣りあわせ。
死が現実的な位置にあるからこそ、生きている事が浮き彫りになるのかもね。

国道275号線との交点から走ること51分、やっと日本海が見えた。


沈む夕日、暗くなる空、そして今日もこうして終わるんだね。
さあ、我が街へと戻ろうか。


海岸線を走り、トンネルをくぐり、丘を登り、
闇に飲み込まれた柏木を出てから1時間後には北三番橋、
街の明かりと、行きかう多くの車のヘッドライトに照らされた光の世界へと舞い戻っていた。



この後、数名の人達とダーツをして楽しい時間を過ごすわけだが
帰り際にnoct-氏から伝えられた一言があまりに衝撃的過ぎて、一気に引き戻された。

その一言をここに掲載するのは控えるが(暗号化されていたし、そのまま書いてもわからんと思うが)
受けた衝撃としては、一瞬にして1USドル=90円になったのと同じくらいだったと思われる。
(もっとも、そんな相場は経験した事がないので、表現として適切かどうかわからんがな)


---情報の信頼性は?そしてどういう経緯でその情報を入手したの?

「まあ赫々云々。情報の信頼性については一概に言えないし、詳細も不明だが他意はない。
 私が君を意図的に陥れようとか、攪乱しようということは一切無い」

---ところで、それを私に伝えるかどうか、迷わなかった? 私の性格を考えて。

「ああ、迷った、とても」

---それでも伝えたと言う事は、私がその情報によってとんでもない方向へ動く事は無いと計算したの?

「と言うよりは、そうであってほしいと信じたかった、だな・・・・・・」


noct-氏、やはりなかなかの策士だな。
私の闇の深さを踏まえた上で、そう動くとはな・・・・・・。



しかし我ながら過去の教訓をまったく生かせない人間だなぁ。


例えば高校2年次の類型選択で、望みもしないのに文系を選択して放置、
その年度の3月までなら選択変更が間に合ったものの何もせず、
変更がきかない4月になってからやっぱり理科系がいいと騒ぎ出してみたり。

この場合素直に理科系にしていれば何らの問題も発生しなかったのに、
くだらない理由で文系を選び、しかも後から訂正しない、と。


例えば高校時代に同じクラスの女の子を好きになった。
しかし私は、同じ空間で同じ時間を共有できるだけでいいんです、と自分に言い訳し
その感情を一切表に出す事はなかった。
(日記(死格以前にあったサイトに掲載)でその事実を書いたときは、
 誰も本気だとは思わず、ネタか釣りだと思われた。私が恋をするなんてみんな夢にも思わなかったからね)

卒業後少ししたあと、そのことについてとある友人と話す機会があったが、
「あの頃のTさん、君のこと興味があったみたいで、結構君の事を友達と話していたよ。
 君がもう少し勇気を持ってそれを表意していれば、違った未来もあっただろうに」
と言われたときは、なんとも言えない複雑な思いだった。


時間制限があるのに、大丈夫だと余裕をかましていて、
時間に間に合わなくなるのが確定になってから慌てる。

期限が設けられているのに、まだ先のことだからと胡坐をかいて
いつの間にかその期限が過ぎてしまっている。

多すぎるよな、こういうこと。、
どうする事も出来なくなってから騒ぎ出すのがAAAクオリティ?
(こんなクオリティいらねぇ)


たまにこんな事を思う。
私は潜在意識下では、取り返しがつかなくなってどうしようもない状態に陥いることが何よりも快感なのかもしれない。
だから前述したような状態をわざと作り出し、そして騒ぐ、と。
そうだとしたら、非常に厄介な人間だよな。
そういう考え方だとしたら、そのうちわざと犯罪を行って逮捕されたりしかねないわけだ。

まあ、冷静に自己分析すると、流石にそれが楽しいわけではないが、
自分の心裡留保を敏感に察知して、そんな状況から救い出してくれる誰かの事を待っている部分はあると思う。
だが、皮肉にも私は感情を表に出さないのが得意なのかは知らないが、
誰にもその表意意思と内心の意思の違いを見抜くことはできないのよね。
(もっとも、見抜いたところでそれをわざわざ指摘するようなお人好しは早々いないか)


この後私は、一人地下鉄で帰宅したわけだが、何故か笑いが止まらなかった。
普通の人ならこういうとき、涙が止まらなく事はあったとしても、
笑いが止まらないなんて事はありえないだろう。楽しい理由がなにもない。


しかし、地下鉄のホームでずっと笑っているのは我ながら不気味だ。
だが笑うのを止めようにも、感情が壊れたのか止められない。
こんな状態で真ん中の方にいると目立つので、ホームの端に退避したら
今度は警備員がやってきて危ないとか何とか言われるし。(いや、確かに危ないが)

「クククク、これじゃあワハハハハハ、本当のキチガイじゃねえかブハハハハハ」

とか言いながら地下鉄に乗っていると、周囲の客はみんな逃げていった。


ダレカ、タスケテクレ。