2006/8/11 葉月十一日




鉄道やバスなどの公共交通一辺倒だった私が、最近になって自家用車の利用に傾倒している。
この現象は、私が自家用車の便利さを覚えたからとか、
運転が苦にならなくなったとかそういう要因ではない。
私は一人で運転していても別に面白くはないし、
ずっと寝ていても進む公共交通のほうが便利だと言う認識には変わりない、
更には相変わらず車線の変更や駐車場の確保などの空間把握行動が不得意であり
そのような場面に出くわしては、一人運転席で発狂しかけている。

それなのにどうして自家用車を利用するかと言えば、
我が家特有の、世間一般から見れば少しおかしな予算体系にある。

私が公共交通機関を利用して移動する際は、当然その費用は自己負担だ。
だから遠くに行けば行くほど、費用がかさむ。
しかし自家用車においては、私が給油する事は無いし、燃料代を負担する事も無い。
クーラーは使わない、アイドリングストップを徹底するなどして、燃料節約は心がけているが
どこにも行かなければ燃料はかからない。
これらの費用は全て親が負担している。
だから私は、たとえつまらなかろうが、面倒くさかろうが、
費用負担の少なさというメリットには勝てずに、自家用車を使用しているわけである。

何故こういう体系になっているかといえば、
今年の初めくらいまでは、私は月に一度しか運転しなかったから。
当然、日常生活において自家用車を多用する親の運転距離に比べて微々たる物になので
無視しても差し支えなかったわけだ。


ここ数ヶ月の使用状況を考えれば費用負担についての見直しが行われてもおかしくない。
もちろん費用の優位性が無くなれば、私は迷わず鉄道とバスを選ぶ。
私の生活において自家用車は必需品ではないからだ。

ただ日本の現行の制度だと、車にかかる経費は、変動費より固定費の方が多く
家に車がある状態なら、たくさん使った方がお得になっている。
親にはここら辺の理論を用いて、自分の自家用車使用の正当性を説いている。
もっとも、燃料代を負担しない事はこれと別問題なのだが
後はその点に気づかれないよう、うまく論点を摩り替えるだけだ。
(親もその事に気づいた上でただ騙されたふりをしているだけのような気もするが)

だから逆に、自分の車を所持したいとは毛頭思わない。
自動車取得分の減価償却費、自動車税、重量税、自賠責、損害保険、駐車場代、
こういう費用をあわせると年間数十万円は吹っ飛ぶ計算になる。
こんなことにお金を使うくらいなら、年に数回ご当地検定を受けに遠征する方が
私にとってはよっぽど良い。札幌市内の殆どは、公共交通で用が足りる。


もっとも父親も、最近私がそれなりに運転するようになった事を受けて
仕事の送り迎えなどに私を利用するようになった。
今日のお昼過ぎにも、職場に持っていくべき物を忘れた、
某所までそれを持って来てくれという電話を受け出動した。

となるとやっぱり、私が現状に対応しきれないシステムを利用していると言うより
ただ親の手の内で踊っているだけと考えた方が正解かもしれない。