2006/7/16 文月十六日




三連休の真ん中、高校の学校祭集中週の日曜日、
私は今日もどこかの高校に紛れ込んでこようと思っていたが、朝、ちょうど父親から
「今から日帰りで天塩まで走るから運転要員が必要だ、一緒に来い」
と言われ、急遽道北の天塩町まで行くことになった。
道の駅めぐり兼祖母(私から見て)を温泉に連れて行くということらしい。

まずはひたすら日本海側を北上し、小平町を目指す。
「これだけ晴れていたら海水浴客で混雑するだろうから、高速経由か碧水(北竜町)経由の方が良くない?」
と父に提案したものの、大したことないだろうということでそのまま北上。
厚田、浜益の各海水浴場は、大勢の人で賑わっている事は賑わっていたが、
まだまだ周辺道路が深刻に混雑するほどの人手はなし。
海水浴場を通る度に交通量が減少していった。ついでに戸田墓苑に行く人もだいぶいた。


生振・花畔・聚富・望来・安瀬・濃昼・送毛・毘砂別・幌・床丹・雄冬 
ここら辺はもうすっかり見慣れた景色である。
間違わずに読めるようになったのはここ最近のことだが。
旧厚田村の区域内では、住宅の分譲地の開発も増えている。
交通の便はあまりよくないが、ここから見える絶景の日本海を考えると、なかなかいいロケーションかもしれない。

雄冬を過ぎて留萌管内へ。超一流の秘境バス停、歩古丹でドライバーチェンジ。
私はしばらく眠ることにする。


小平、羽幌、遠別を経て天塩町へ。
かつてはここ国道232号線と平行して、国鉄羽幌線が走っていた。
ちょうど今年で廃止から20年が経つ。
まだまだ一部の場所では線路の遺構が散見される。


旭温泉へ向かう道路との分岐点付近に残る橋梁である。


行く途中、旭温泉に祖母を残してきたらしいので一旦旭温泉に戻り、
今度は道の駅『なかがわ』を目指す。この移動には道道遠別中川線が便利である。

この遠別中川線、なぜか毎年1回ほど通っているが、
砂利の峠道が、トンネルで一気にショートカットされるようになってから面白みがなくなった。

それにしても北海道の道は本州に比べてすばらしく走りやすい。
本州ならこんな都道府県道は、すれ違うのも大変な厳しい道になっていることだろう。


道の駅なかがわ経由後は、中川、音威子府、美深を経て名寄市へ。(写真は天塩川)
国道を走らず、あえて線路と並行する細い道を走る。

名寄市智恵文付近で、突然大雨が降ってくる。積乱雲による局所的な大雨だ。
どうもここら辺を通過すると、いつもここら辺だけ天気が悪い。
前に道北に来たときも、美深町内だけ大荒れだったことがある。

智恵文から先は、やはり国道を通らずに線路側と並行する小さな道路へ。
智恵文から東へ向かうと、付近に住宅も無いような道が続く。
この道は名寄市の日進まで続いているが、この間に駅はない。

正確には4ヶ月前までは駅があった。鉄道マニアの間では有名な智東の駅だ。
私はちょうど名目上の営業最終日である3月17日にも訪れているので、4ヶ月ぶりの訪問だ。

4ヶ月ほど前に駅があった場所は、すっかり変わり果てていた。

ホームは撤去され、駅名板も、貨車を利用して作った駅舎も何もなくなっていた。


周囲には相変わらず人家も無く、駅がなくなった今では、道路の一部に過ぎなくなった。
少し前までここに駅があったんだよ、そう言わなければ鉄道マニア以外には
昔ここに駅があったことなど気づく事はないだろう。

智東駅跡から去り、今度は名寄の町を抜けた後、五味温泉を目指す。

今度は祖母だけでなく、父や私も入浴する。
昔はもっとボロイ施設だったらしいのだが、ずいぶん立派な施設に建て替えられていた。
付近住民が結構来ている模様。


五味温泉入浴後、ただいまの時刻は20時10分、
本日最後にスタンプ押印予定の道の駅、『森と湖の里ほろかない』が閉まるのは21時だ。
五味温泉から50分で聖和温泉、これはちょっと無謀だが、
私の地図分析だと何とか間に合うと判断、山道をひたすら飛ばしまくった。
(私は運転せず道案内、私がこんなスピードで走ったら間違いなく自爆するから)

数分の遅れなら、前の根室のとき同様、基地外技を発動すればスタンプは押せる、私はそう確信していた。
基地外技は最後の切り札なので、あまりやりたくないけどな。
結局、21時10分ごろ、『森と湖の里ほろかない』到着、
閉店の準備中だったため、基地外技に頼らなくてもスタンプは押せた。

ここも、深名線が無くなってからもう10年以上経つのか。
もう少し廃止が遅ければ、きっと私は全駅乗降を試みていただろうから
ここら辺の景色を見るたびに、懐かしい気分になったんだろうな。
私はこの深名線、小学生のときに通しで1往復乗っただけなので、
残念ながら間の駅についてはあまり記憶がないのだ。
当時の面影を残す遺構も、深名線においては殆ど残っていない。


北海道を旅すると否が応でも、かつてこの地を走っていた鉄道の面影を感じずにいられない。
それが鉄道旅行でも、自家用車でもだ。
そして、私が生まれる前の北海道を無性に見てみたくなるのである。

ここ数十年で、北海道の道路は格段に良くなった。
高速道路は士別剣淵や国縫まで伸び、国道も直線化やトンネルの整備が行われ
自動車でドライブするなら、昭和の時代より確実に便利になっただろう。
では鉄道はどうだろう?札幌函館間3時間、札幌釧路間3時間34分、札幌〜稚内間4時間58分、
路線高速化とモンスター気動車の登場で、都市間の移動は格段に早くなった。
でも、路線網は全盛期の半分近くまで減った。多くの街から鉄路が消えた。
鉄路と共に街の賑わいも消えた。時刻表から街の名前が消えた。

鉄道に関しては、昭和の時代の方がずっと便利だったような気がする。
たとえ札幌函館間が4時間30分、札幌釧路間が5時間かかったとしてもだ。
だから私は、あの時代に行きたかったと本気で思ってしまう。


どうして、道路と違って、便利なままで残せなかったんだろうね・・・・・・。



それはともかくとして、我が家の車の走行距離が美唄市付近で20万キロを達成した。
地球四周分、よく走った物だ。私の寄与分は多分3000キロ程度だけど。

そういえば、20万キロ達成したら車を買い換えると言っていたが・・・・・・。
「いや、ここまできたら次は25万キロ目指すよ」と父。
結局、修理費が余りにも大きくなるか、真の意味で使えなくなるまで使いそうだな。

ここでまたドライバーチェンジ、三笠から高速道路をひた飛ばし24時過ぎにやっと自宅到着だ。
道の駅ツアー、かなりの距離を走っているはずなんだけど
どうも遠くまで移動している感じがしない。