2006/7/15 文月十五日




なぜか今週末は、高校の学校祭が集中している。
わが母校月寒高校をはじめとして、札幌旭丘、札幌東、札幌平岸、札幌日大、
札幌西、札幌白石、札幌北、札幌啓成、札幌東稜、石狩翔陽、軽く調べただけでも10校は超えている。
総会屋対策で株主総会を各企業が同一日に集中させるのと一緒の理由だろうか?

去年は1日で3、4校を駆け回ったが、今年はちょっと控えめに
平岸高校→月寒高校と移動して終わりにする予定だ。


まずは平岸高校へ。澄川駅で地下鉄を降り、坂を上る。

入り口で名簿に氏名を記入し、中に入る。
何か、非常に縦長な印象を受ける校舎だ。


いろいろな食べ物を売っていたり、各種展示があったり、
他の学校からも訪問者が来ていたり、吹奏楽団の演奏があったりとごく普通の学校祭だ。当たり前か。
クラス全員がメイドの格好をしていると言うお店もあった。メイド大好きのレビン氏なら垂涎物だろう。



平岸高校から月寒高校へと移動。距離的にはそんなに遠くないのだが、公共交通の便が悪すぎる。
コストパフォーマンスを考慮すると、歩いた方が早いと判断。35分かかった。

高校生だった当時から数えて、7回目の月高祭。
いよいよ現役で中の人として参加した月高祭より、卒業後に外の人として見物した月高祭の方が多くなった。
あれからもう4年、時が流れるのは早いものだな。



ちょっと古臭い校舎、人の賑わい、グラウンドの土の匂い、流るる雲、あの時と何も変わらない。
ただひとつの違いは、ここが私の居場所じゃないと言うこと。
周りの高校生の事はまったくわからないし、彼らも私のことをまったく知らない。

何だろう、この疎外感は。何だろう、この切ない気持ちは。

私の日記を見ればわかると思うが、他の大学、高校の学校祭にも頻繁に足を運んでいる。
当然そこは、私と関わりなどなく、せいぜい入試を受けたりした程度で
完全にアウェーなのだが、疎外感を感じたことなど一度もない。
なのに、ここに来たときだけは、祭りが終わり片づけが始まるあたりで不思議な疎外感を感じる。
そして毎年ここに来るたびに、年毎に疎外感が増幅されていくような気がする。


ここを卒業するときに、担任のソクラテスマニアが
「調子の良い時はここには来ないほうがいいんです、でも辛くなったらいつでもきてください」
そう言っていたのを思い出した。

学校祭で、同期で卒業した他の人たちを見ることは殆どない。毎年来ているのなんて多分私だけだ。
きっと他の人たちは、過去を振り返ったり懐かしんだりする暇なく、今を必死に生きているのだろう。
でも、私はそうじゃない。そうだったら、今頃ここにはいないはずだもの・・・・・・。



私が昔、高校生時代にパラレルワールド論を唱えていたのをご存知だろうか?
もちろん現実には時を巻き戻すことはできないし、並行世界を求めることもできない。
ただ、それを頭では理解していても、私の深層心理ではきっとパラレルワールドなのだ。

もちろん他の人だって、今の現状に必ずしも満足している人ばかりではないだろう。
どこかで妥協し、理想世界と現実世界の間を永遠に封鎖した人もいるだろう。
でも、私にはそれができないのだ。今と言う現実が目の前にあることがわかっていても。

こればかりは誰かに助けてもらうわけには行かない。自分自身で解決しなければならない問題だ。
例えそれがどんな結果になっても・・・・・・。



月高祭最後のプログラム、クラス対抗歌合戦が終わった。
体育館から繋がる渡り廊下でカメラを構える私を無視して、生徒たちが通り過ぎていく。
そう、これが現実なのだ。

そこにちょうどH村先生が通りかかって、私に
「お、久しぶり。お前も大変だな」
と一言。何か全てを見透かされている感じがした。