2006/6/21 水無月二十一日




今日も経済学部のソフトボールを撮影しに、月寒公園へと向かう。
昨日だけで全チームの一試合目終了かと思いきや、そうではないようである。
何で64チームも出場しているんだよ!

今日は業者の方もいないので、1人でグラウンドを駆け回る事になる。
実は、別にやりたくなければならなくてもいいんだけどね。
やっぱり私としては、全チームを撮るべきだと思うので、今日も朝から月寒公園へと向かうわけだ。

また延々と一人で、グラウンドを彷徨うのかなあと思っていたら、
第一試合の出場者に、写真部の後輩の女の子がいた。
お互い軽く会釈をした後、それぞれの持ち場に付く。


試合が終了した後、その後輩が駆け寄ってきて
「先輩、集合写真撮ってください」
と。先輩か、何かいい響きだな。何かこう、トキメキの様なものを感じた。

先輩なんていわれるのは、中学校の時のコンピューター部時代以来だな。
高校時代の鉄道研究同好会は、みんな横ならびだったし。(更に全員男だったしね)

ただ、中学校時代の私も、本質的には今と殆ど変わらない。
中学時代のコンピューター部の時のエピソードとしてはこんなのがある。

女の子「先輩、パソコンがおかしくなったんですけど」
私  「言葉は正しく使いましょう。おかしくなったんじゃなくて、あなたがおかしくしたんでしょう?
    パソコンは人間の操作無しに勝手におかしくはなりません」
(当時の環境ではマシンがネットワークに繋がっていなかったので、外部から侵入される事はありえません)

そういいながらも修復するわけだが、こんな調子で対応する奴が後輩から慕われるわけがない。
実際のところ、私が中学1年次にコンピューター部担当教諭だったM本先生のセリフをそのまま言っただけなんだがな。


ただ、水無月3日の日記に登場した誰かさんのように
態度は柔らかくても、教える内容は滅茶苦茶と言う先輩には絶対になりたくない。
言葉はきつくて素っ気無くても、いざと言う時に頼りになると言うのが私の理想である。
現実は、訳わからない事ばかり言っている奇妙で風変わり、常識外れのおかしな人間だがな。


ちなみにこの後輩のチームは1年生のゼミなので、アルバムに写真を使うわけではないのだが
アルバムに使わない写真を撮ってはいけないという決まりはないし、後輩の頼みを断る理由は無い。

ちなみに今回撮影に応じたのも、後輩だからとか、女の子に頼まれたからとか言うわけじゃなく
私は基本的に、誰から頼まれても写真を撮ってくれという要望は拒否しない。私自身そういう撮影も嫌いじゃないし。
(けれどもよっぽどおかしな注文は断るよ。いないとは思うけど念のため)
実際、今日までのソフトボールの撮影で、他の方にも何度か頼まれてスナップや集合を撮影している。
ただ、連絡先がわからないから、こちらから写真を渡す事は出来ないのよね。
(こちらから連絡先を渡すべきかな?)


この後の試合では、以前の私の日記にもひそかに登場しているブンシキ氏と会った。
彼のゼミのチームは人が足りないらしく、6人で試合を行っていた。



さて、撮影を続けていると途中から雨が降ってきた。
さすがに雨の中撮影を続行するだけの情熱は私には残っていなかったのでここらで切り上げた。

その後、部室に行ってフィルムの現像を行ったわけだが、また失敗してしまった。
仙台で撮ったモノクロ写真が半分近く台無しだ。
私の撮影の殆どはデジタルだといえばそれまでだが、
せっかく銀塩カメラを担いでいって、色々撮ったのにこうなるのはとても悲しい。

私が失敗する原因は、全てリール巻きの失敗である。
それも巻いている段階で、失敗しているとわかっているのだが、
それでも現像を強行してあぼーんさせるというケースが非常に多い。

リールにも使いやすいリールと、微妙に曲がっていて使いにくいリールがあるようで
熟練すれば微妙に曲がっていても微調整して普通に使えるらしいのだが、
あまりフィルムを扱わない私の場合、リールの影響をもろ受ける。
つまり、曲がったリールを使うと失敗するわけだ。


ちなみに私の撮影枚数は、デジタルでの撮影を100とすると、
フィルムでの撮影は2くらいであり、暗室に入る機会も殆どない。
よって、今の私のモノクロ写真の実力は
新たに入ってきた一年生達と同レベル、いや、もしかしたらそれ以下かもしれない。

尊敬される先輩になるには、ある程度の実力が伴わないとね。
ということで、また一から訓練しなおそうか・・・・・・。