2006/5/16 皐月十六日




お昼過ぎ、札幌駅方面に向かうため、家を出て歩いていた。
ご存知のように、ここ最近の為替相場は私に厳しく大損害、
少しでも支出を抑えようとしている中、地下鉄代を支払うのはもったいないので、歩くようにしているのだ。

しかし200円の節約のために、約30分程度の時間が費やされる。
これは最低賃金である時間給641円を下回っているため、
時間対効率で言えば、この時間を労働に当てた方が、有効と言う事にある。
もっともこの理論が成り立つのは、時間と労働、そして資金が高流動性で変換される場合なので
実際このモデルを適用するのは無理がある。

更に言えば、街を歩くのは私の趣味なので、
私にとっては地下鉄代の節約以上の利益享受があるとも考える事ができる。
これはカメラを持っているときに限るが。


ひたすら豊平川幹線を歩き、南大橋付近に差し掛かったところで、写真部のムラヤマさんに会う。
お互いに、どうしてこんなところにいるの?と思ったが、
よく考えるとそういえば、豊平川の河川敷で撮影会をやるとか言っていたな。

今年の撮影会は、藻南公園か、モエレ沼公園あたりということで事前協議がされていたのだが、
移動が面倒くさいなどの理由で、直前になって当たり障りの無い場所に変更。
どうせ豊平川の近くなど、何も撮るものがないだろう、
あったとしても、ここら辺は私のお膝元だから、いつも撮っているだろう
ということで、私は行かない事にしていたのだが、
その経緯自体を忘れていたため、こんなところで突然遭遇することとなった。


私がついたときは既にみんな焼肉等を済ませた後で
サッカーしたり、フリスビーしたりとみんなそれぞれで楽しんでいる。


晴天の屋外と言うのは、やはり室内に比べて光が豊富で、人間を美しく撮る事ができる。

そうか、場所自体は撮りなれた風景でも、人を撮ればいいのだ。
そもそも私の撮影する物は、他の人と比較して人物写真の割合も多いわけで
何も撮る物がない、なんて浅はかな考え方だった。

と言う事で、人と風景を絡めたいつも写真もさることながら、少しポートレート撮影でもしてみる。
私の主義は「話しかけて許可を撮った瞬間から、自然な表情が失われる」なので
うまく相手に意識させないようにして、被写界深度を意識しつつ望遠側で勝負。

まあ、ポートレートともなってしまうと、
それは記録の域を超えてしまうので、ここの掲載には不適になってしまう。


15時過ぎ、集合写真を撮りつつ、撮影会終了。
まだ撮り足りない人(?)は、近くの中島公園に移動し撮影を続ける事に。
ちょうど桜の花も咲いていて、撮影日和である。
と言う事で、こちらで撮った写真も何枚かアップしてみる。
  

どうせだったら、女子高生と桜を絡めたような写真も撮りたかったのだが、いい構図にならずに失敗。

まあ、大体満足したし、後の予定も入っているので切り上げるが
どうもさっきからデジタルカメラの調子が悪い。
起動時、倍率調整時、終了時に変な音が鳴る。どうしたものか・・・・・・。



さて、この後はT部の新入生歓迎会が開かれるので、それの撮影を行う。
ya5u5hi氏とroxas氏が行く事になっていたのだが、後学のため、私も同行させていただく事に。

撮影用機材として備品のNikonのD70を借りた。
この機体を使うのは、というかデジタル1眼レフカメラを使用するの自体私は初めてである。
うまく使いこなせるのだろうか?

すばやく西11丁目まで移動、新入生歓迎会に突撃する。

会場に入ると、ちょうど乾杯の音頭が取られた直後らしく
早くも周囲の人と打ち解けて、いろいろ話したり、携帯電話のアドレス交換などを行っている人もいれば
一緒に来た友人とともにずっとしゃべっている人、
話す相手を確保できなかったのか暇そうにしている人、食べることに一生懸命な人など、様々だ。
でも、消極的な人はそもそもこの会に参加しないというパターンが多いのか、
多くの人は周りの人たちと積極的にコミュニケーションを取っている。


その様子を撮影するのが、今回のお仕事だが、実際そんなに撮る物は無い。

だから、撮影しつつもうまく目立たないように、人がいなくなったテーブルに残っている料理を頬張ったり、
オレンジジュースを何杯も飲んだりできる。、最近ろくな物食べていなかったからありがたい。

仲間内(?)で盛り上がっているところを、巡回中のカメラマン(私)を見つけて
「写真撮ってください」といいつつ、さらに盛り上がっているようなテンションストップ高な奴や、
絵になるなぁと思って、こちらからお願いしても
「いや、勘弁してください」
と言う、写真に写るのがあまり好きじゃない人もいる。
人によって、写真に対する位置づけのだいぶ異なるのだ。
その中で仕事をこなすというのは、なかなか難しいものだ。

一応メーンイベントであるビンゴ大会が終了次第、我々3人は会場を去る。


この写真は卒業アルバムに使われる事になるのだが、
この1年生が卒業するのは約4年後、その頃には今日撮影したスタッフは
私を含めておそらく一人も残っていないだろう。
そして撮られた人達も、4年後まで今日の事を覚えているのだろうか?
そう考えると、時間経過による写真というものの不思議を感じざるを得ない。

でも撮影者の立場としては一つ言えることがある。
今から4年前、すなわち私が高校3年の時から、既に私は写真を撮っていた。
ただし、今のようなデジカメの高性能化もメディアの大容量化もされていなかったし
私自身も未熟だったため、質、量共に満足のいくものではない。

あの時もっと撮っておけばよかった、そう思う事はあるが
こんな写真、撮る必要なかったな、そう思った事は一度も無い。
(その行為によって、好きな人との距離を遠ざけたと言う副次的な作用については後悔の念もあるが)

つまり、撮らないよりは撮る方が、写真がないよりはある方が、後悔はしなくて済むということだ。
日の目を見るのが4年後ならなおさらの事、当時の記録は写真の中にしかないのだから。