2006/12/31 師走三十一日




2006年も今日で最後。
だからといって特段何かをしようとも思わないが、
手元の2006年分の帳簿をクローズ、来年用の新しい帳簿を作ったり
日記用の新しいフォルダを作ったりと、年が変わることに伴う事務的な作業を細々と進める。

日記と言えば、今年は高校3年の時と同じくらい、日記(兼旅行記兼資格体験記)を書いた年だった。
それでも書きたい事はぜんぜん書けていないばかりか、
過ぎ去る時の速さに追いつく事はできなかった。


私が日記を書く理由はいろいろあるが、そのひとつには未来の自分に対しての記録と言う意味がある。

私は記録を残すのが大好きだ。
デジタルカメラで日常をこれでもかと撮影するのも、その一環であると言えよう。

記録することに意味を見出す思想の根底には、
私が日記を書きはじめた原因でもあるパラレルワールド論がある。
言うなれば、並行世界と闘うために確固たる記録を残したがるのだろう。


もし私がストレートに北海学園大学進学を行っていたら、今頃はどこに就職するか
それとも大学院に進学するかを決めていた未来があったはずだ。
もちろんK.K氏のように、大学再入学という派生ルートもありうるだろうが。

もし私が紆余曲折なく理科系過程を突き進んでいたとしたら、
今頃何を専攻しているかは知らないが、
少なくても法律や資格試験とは無縁の人生を送っていたことだろう。

投資家の端くれがもしを連呼するのは美しくないがね。


私は時々この世界が偽りの幻ではないかとさえ思う。
これは厭世観による現実逃避ではなく、むしろその逆だ。
あれだけ選択の錯誤を悔い、パラレルワールドを望んでいたのに、
今現在のこの世界が、それなりに快適だからこそ怖いのだ。

私は法学部に身をおく今でも、自分は理科系人間だと思っている。
しかし実際のところ、大学で理科系の過程を修習する人間に勝てるわけがない。
この乖離は数年後、さらに新たな選択を迫られる場面において必ずや表面化するだろう。


私が好きな曲に、中島みゆきの『時代』がある。その歌詞の中に、
「あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ」と言う一節がある。

私が最初にWeb上で日記を書き始めた時から既に4年と8ヶ月経つが、
残念ながら今の私には、当時の日記を見て、過去を思い出話として笑うことはできない。


今現在書いているこの日記、5年後の私はこれを見て笑うだろうか?それともまだ嘆いてるのだろうか?



年末なのでふと、自分の気持ちを整理するためにこんなことを書いてみた。
私にとっては数年前からずっと続く最大の命題だが、来年はいい解にたどり着くのだろうか?


それでは皆様、来年もよろしく。