2006/10/2 神無月二日



−−−−−−自分は人からどう見られているか?

人間は多かれ少なかれ、他人からの評価を気にするものだ。
たとえばこの日記においても、読者が私に対してどういった印象を持つか?
というファクターを少なからず抱えているのは、見ていてよくわかるだろう。
この日記に対して苦情を言う人は今のところ特に無く、
好意的な意見が多いので、私は安心してこの路線を続けられているわけである。


ある程度の揺らぎはあるにしろ、世間から賞賛される行為、
そして非難される行為というのは万人において共通であろう。
たとえば私がこの日記に
「お店の倉庫から食べ物や飲み物が入ったダンボールを5〜6人で運び出して盗んでいました。
 盗った物は友達に配って、半年くらいやっていました。
 見つかったこともあったたけど、業者のふりをして逃れました。
 ちなみにその店は潰れました。」
なんていう内容を書いたとしたら、それを非難する人は大勢いるだろうが、
賞賛する人は皆無、もしくはよっぽど良識のない人間だけだろう。

しかしそれなのにそういうことを面白半分でネットで語る奴は後を絶たない。
未成年の飲酒喫煙ならかわいい物で、万引き、キセル乗車、飲酒運転、
挙句果てには放火から放射性物質トリチウムの垂れ流しまで
ネット上で暴露する輩がいる。彼らは何を目的としてそのような事を公開しているのだろうか?


まあそれらについての問題点はまたの機会にするとして、今回は何が言いたいのかと言えば、
周囲からの好評価を得たいと言う願望と、実際にそれを得るための行動との乖離についてである。

例えばネット上でそういった武勇伝を語る連中、
ネットでblogや日記を書く人達は、私を含めて自己顕示欲が強い人達であり
面白おかしい記事を書いて読者を増やす事により自分の価値を高めようとする。
しかし反社会的、非道徳的な記事は、執筆者の評価を高めるどころか、
そいつがDQN(非常識人間)である事の証明、つまり執筆者が意図したとは逆の作用として働いてしまう。

2ちゃんねる上では、釣りとしてこれを確信犯的に狙う人もいるが、
blogなどにおいては、無知や無邪気さが引き起こすケースが圧倒的に多い。


ちなみにこれはネットの世界だけに限った事ではない。
ネット上だと、その匿名性ゆえに人の発言を非難しやすい環境にあり、
そういったDQN的発言が、批判に晒されることにより露呈しやすいだけで
ネットを介さない人間関係においても、ただ黙っているだけでこういうことはありうる。

例えば他の人が裏でしかめっ面をしているのにも係わらず、自らの武勇伝を語り続ける。
話している本人は、それによって自らの評価が高まっていると思っている。
そういった事を2ちゃんねる内でやろうものなら、
「自分語り乙」 「つ チラシの裏」
などと言った絶妙なレスが返ってくるものだが、
リアルにおいてはそんな気の利いた事をしてくれる人もなかなかいない。


ここで突然話が飛ぶが、ある会社に遅刻ばかりしてくる社員がいたとする。
(どうも今日は例え話が多いな)
こいつを社員Uとしようか。そしてその上司を上司Wとしよう。
上司Wは社員Uの遅刻の事を快く思っていない場合、
このケースで上司Wが取り得る行動はいくつかあるが、今回は3つのケースを考えてみる。

1 「お前遅刻が多いぞ、社会人として弛んどる!!」と、直接遅刻を注意する。
2 「最近遅れてくる事が多いけど、具合でも悪いのかい?」などと遠まわしに言いたい事を伝える。
3 特に何も言う事はしないが、人事査定にはきっちり織り込み、ある時期になって左遷を言い渡す

1番目は直接的であり、意思の疎通がうまくいかない可能性は低いが
人を叱責するというのは、叱責する方も相当の気を使うし
言われた側も、頭ごなしに怒られると反発してしまう可能性もあるため
それなりに腰をすえて行わなければならない方法である。
失敗が許されないとか、命の危険があるとか言う場合には、この方法以外にはありえない。
まあ、命の危険がある場合でも、言われる側が命にかかわることを知らない場合
何でこんな風に言われないとならないんだ?と思って反発することもあるかもしれないが。
ともかく、相手の事を思っていないと出来ない方法ではある。

2番目は、多くの場合にはなかなか便利な方法だ。
相手のプライドを傷つけることなく、相手に自発的に問題点を気づかせる。
お互いに大人なら一番いい方法だと私は思う。
ただこの方法は、言われる側があまりにも空気を読めない人だと通じないという欠点を持つ。
字面どおりに解釈したり、自分の問題点を指摘されているなどとは夢にも思わなかったりと
とかく伝えたい意思が伝わらない。
そうなった場合、上司W側は消耗するし、
社員U側はせっかく与えられた改善の機会に気づかないしで、お互い不幸である。
しかもこの方法をとると言う事は、相手がいい大人だと信じているわけで
だからこそ、そうでない場合に尚更傷を広げてしまう事になる。

3番目は、上司Wからすれば非常に楽な方法だ。
楽な方法ではあるが、人を育てる方法ではない。
そいつの事などどうだって良い、あるいはもう改善の見込みがないと判断した時にとる方法だ。
これをやられた場合、社員Uが自分の不手際に気づく可能性は0に限りなく近い。
逆説的になるが、社員Uが自らの拙さに自分から気づいて態度を改めるような人なら、
上司Wにこのような対応を取られる事はありえないからだ。
そして時が流れ、左遷された時になってから気づいても既に時遅し。
いや、そこで気づけばまだいい。(左遷先で努力して戻ってくる事も出来るだろう)
「あのクソ上司!何の問題もない俺を僻地に飛ばしやがって!!」
などと、自分の落ち度に気づかずに逆恨みすることも十分に考えられるだろう。
こういう展開になったら、上司Wの対応は適切だった事になる。またも逆説的だが。



勘がいい人は話を元に戻すまでも無く、
この日記自体が今日の日記に書いた事のある部分を構成している事に気づくだろう。
ただ、そのメッセージは、それに気づく人ではなく、気づかない人に伝えたいんだな。
でも多分気づくのは、そんなことはとっくに承知している人だけだろう。
世の中なかなか難しい物である。



この話はここ終わり。




10月及び11月の資格試験日程に、
消防設備士試験in新潟、そして北海道観光マスター検定を追加してみる事にした。
昨日のことがあったばかりなのにまたこの日程の詰め込み、喉元過ぎれば・・・・・・とはこの事だ。
気力さえうまく保てれば、無理はないのだがねぇ・・・・・・。