2005/7/5 文月五日 July Fifth



なんか、新しいデジカメを買ったのは良いけど
以前の機種を使っていた頃に比べて、あんまり写真を撮影していないような気がする。

今日も講義終了後は雨が降っていて、撮影環境としては良くない。
特にズーム撮影を行おうとすると、ただでさえブレやすいのに
照度が落ち、シャッタースピードを遅くせざるを得なくなり、ますますブレやすくなる。
ということで今日はこんな写真しかアップできないや。


別にアップする必要はないけど、なんとなく。


それと本日、修理に出していたデジタルカメラが店舗に戻ってきたから
いつでもいいので受け取り票を持って来てください、という電話があった。

が、手元にはすでに新しいデジカメがある。
性能は、どう考えても新しいデジカメの方が上だ。
よって、修理に出していた昔の相棒を使う機会も必然的に減りそう、
いや、過去の経験からすれば、殆ど使う機会がなくなるだろう?
さて、C−730UltraZoomの処遇をどうしようか?

中古品として売り払う。たぶん、売れる値段は今回の修理代、12500円以下だろうな。
弟にあげる。弟はそんな大きなデジカメはいらないって言うしな。
懸賞品として、ここを見ている誰かにプレゼントしてしまう。
中古品を懸賞品としてもらっても困るか。
それだったら修理代として使った12500円を、
そっくりそのままプレゼントしてしまった方が良かったことになる。

修理に資金を使った段階で、手放すという選択肢はなしかな?
第一、高校卒業とほぼ同時に購入してから、
今まで19000枚以上もの写真を撮影してきた戦友を
ホイホイと手放すのも、なんだかしのびないか。
これを購入する前に使っていたデジカメも、ちゃんと取ってあるわけだし。
では、メイン機が故障した時のバックアップとか、
必要なときに誰か他の人に貸すとかして運用するか。

ここで、過去の撮影枚数を調べた際に、あることがわかった。
以下は年別の、私がこのカメラを利用して撮影した写真の枚数である。

2003年3月〜12月 約2400枚
2004年1月〜12月 約6700枚
2005年1月〜 6月 約9900枚

この撮影枚数の異常な増え方は何だ?自分で原因を考えてみる。

1 撮影枚数が少ない期間は、家に引きこもってどこにも行かない日が多かった。
2 長い浪人(ニート)生活が続いた結果、人との交流が少なくなり、
  そのおかげで人前でカメラを使うことを躊躇しなくなり、撮影機会が大幅に増えた。
3 大容量のフラッシュメモリが手に入ったことにより、
  枚数を気にしないで撮影に臨めるようになった。

こんなものか。512MBのxDの導入は結構大きかったかも。
でも一番の原因は私がこういう考え方になったからだと思う。


時の流れとともに人も町並みも自然も変わっていき、何一つとして不変の物はない。
となれば今はあたりまえの風景のだって、いつか無くなってしまうかもしれない。
私の住む場所も、昔から比べればだいぶ変わってきている。
かつてあった住宅は次々に壊され、新しいマンションが建設され、
トリコロールの工場は火事で焼け落ち、自然はいつの間にか消えていった。
無くなるのを止めるのは無理だけど、写真に残すことはできる。
だからハードディスクの許す限り、何でもかんでも撮影して保存しておこう。


私が何でもかんでもやたらめったら撮影する理由はここにある。
しかしそういえば、某友人がこんな事を言っていたような気がする。
「思い出は、記憶の中に生きているから思い出なんじゃないか?
 なんでもかんでも写真に撮ったらそれは思い出じゃなくてただの記録だ
 写真なんか無くても、思い出があれば十分だよ。」

みなさんは、どちらの考え方に近いだろうか?