2005/6/9 水無月九日 六月九号星期四 



私はいつから試験で100点を狙うことを止めてしまったのだろう?

今日、中国語の試験が行われた。試験の結果は大体六割の出来だった。
そこでふと気になったのが、先の事柄である。
私はいつから試験で100点を狙うことを止めてしまったのだろう?
過去に遡って考えてみる。

小学校

小学校のテストは簡単で、勉強しなくても100点が取れて当たり前、
95点ですら失敗という世界だった。
あの頃は、100点を狙っているという意識はなかったが、
事実上100点狙いをしていたと言える。

中学校
100点を取れることは少なくなったが、
全科目で、100点を狙おうという気概があった。
が、そのうち英語が脱落、これ以来英語で高得点を取ることは無くなった。

高校1年

テスト終了後、成績上位者の点数が科目別に張り出されることもあり、
私は英語を除いて100点狙いで行った。
が、国語でも100点を取るのが厳しくなって、古文漢文が出てきたあたりで戦うのを止めた。

高校2年

傾向は1年次と同じだったが、ある事件以来、テストで点数を取ろうとすることを止めた。
答案の白紙提出、すべて答えと少し変えた誤答記入などで、わざと0点を取ったりもした。

高校3年

その頃の日記を読んでいる方ならわかるだろうが、
この頃はテストで点を取ろうとする気力は無かった。

センター試験

ノーミスを目標としたのは化学と総合理科、そして現代社会のみ。
これは三度とも変わらず。

資格試験

性質上満点を要求されないので、必然的に満点を取ろうとはしなくなった。
たとえ間違いがいくつかあろうが、合格点を超えていれば問題ないだろう、と。
そして学校の試験と異なり、『学んだ内容を確認するための試験』から、
『試験に合格するための学習』へ、目的と手段が入れ替わっている。

まぁこれはあくまでも私の場合だが、私の知る限りは100点を取ることを
いつまでも諦めない人というのを知らない。

100点を取ろうとする際の勉強法及び試験への臨み方は、
それ以下を目標とする際のそれとは異なる。

それ以下を目標とする場合は、勉強するにしろ、試験を受けるにしろ
“捨てる”ということが許される。

例えば海事代理士試験の勉強について考えてみる。
海事代理士試験は、船員法、船舶法、海上交通安全法などの海事法令以外に
憲法、民法といった一般法も試験科目となっている。
これらの法律は、それ以外の出題科目の海事法令と比べ、範囲が圧倒的に広く
普段から、きちんと学習しているかどうかが問われる。
だから合格点を取るだけなら、憲法、民法は“捨てて”、海事法令を必死に勉強した方がいい。

今度は試験中のことを考えてみよう。次の問題を解いてほしい。



次のxの値を求めよ。(1問20点の100点満点。合格点は60点です)

(1) 4x=3

(2) x^2=256

(3) x^3=1

(4) 31934623547x=32215985869

(5) x^3(x^2−290)+37128=294x^2−12435x


                  x^A はXをA乗することを示す。






















律儀に問題を解いてくれた人(いるのかな?)のほとんどが、
真っ先に1問目、2問目を解いたと思う。
3問目は、公式を覚えていれば一発で答えが出るが、
それを知らないと解を一つしか見つけることができないだろう。
3問目までできれば60点、合格点だ。それ以降の数値ばかりでかい問題なんて解く必要は無い。
多分、これを解いた人はいないのではないだろうか?
がんばって因数分解等をした人がいたらお疲れ様。
一応それなりの答えが出るようにはなってます、答えを知りたい方はお問い合わせください。
まぁ仮に問題を解いた人がいたとしてもだ、4問目や5問目から解き始めた人はいないだろう。

試験がある程度のレベルになってくると、解けない問題を捨てて
解ける問題で確実に得点すると言うことが必要になってくる。
が、100点を狙うと言うことは、解けない問題が存在してはいけないわけで
どんな難問、どんな悪問でも解答しなければならない。
さらに、試験問題が必ず完璧である保証は無く、
答えが存在しない問題や、問題文自体が間違っている問題などもありえる。
100点を取ろうとすると、そういうことがあることが許せなくなると思う。

逆にこのことについて試験問題の方から考えてみると、
100点を目指せることが性質上ふさわしくない試験と言うものもある。
たとえば実力を測るための試験。試験の結果には0点から100点までしかないので、
0点や100点を取った人の成績を分析することが出来ないから。
小学校の算数の試験で100点取れたからって、
その人が数学ができるというわけではないし、逆にもまたありえる。
又は競争試験。この場合は0点はあまり問題が無いが、100点を狙えてしまうと
全員が100点で横並びして、振るい落とせなくなる可能性がある。

以上のことから、平凡な私のような人間は、途中から100点を取れなくなるのは当然のことで、
その結果、取れない100点を目指さなくなるのも当然のことなのかな?
でも、やっぱり100点を取ったときというのは嬉しいんだよね。

資格試験試験は答案が返ってこないから、この楽しみがないのがちょっと悲しい。
そのかわり資格試験は、免状や合格証が手に入るという楽しみがあるけどね。



中国語の試験終了後、写真部にいって写真のプリントを行った。
自分で写真を焼くのはこれが初めてだが、
紙の種類、画面距離、フィルタ、焼付時間などなどの違いによって写真の出来が異なる。

で、これが私がはじめて撮ったモノクローム写真をプリントしたものをスキャナで取り込んだもの。
段階露光を行っているので、縦にスジが入っているのがお分かりいただけるだろう。
右側の薄い部分は光を当てた時間が短く、左側の濃い部分は長い。
この作業はどこくらいの濃度(露光時間)にすれば、
最もよく見えるかどうか試すために行うそうだ。
なかなか白黒も面白いものだね、うん。

だけど難点としては、印画紙が高いことだ。
これは写真屋に頼んだときにデフォルトで作られるサイズと同じだが、
印画紙代が1枚につき12円くらいかかる。
さらにフィルム代が、1枚撮影するごとに10円分くらいかかっている。

これを高いと思うか、安いと思うかは人それぞれだと思うが、
私のデジカメ写真の場合、カメラ本体を入れても1枚あたり7円程度、
保存しているハードディスクやDVD代を入れても8円まで行かないだろう。
ニッケル水素電池充電に伴う電気代は計算に入れていないが、それは誤差の範囲だろうし。
プリンタで印刷して写真にすることを考えると、さらに紙代とインク代が加算されるけど。

まぁコストの計算ばかりチマチマしていても面白くないと思うので、
これからしばらくは、カラーのデジカメと白黒の銀塩、両方楽しむことになりそうだ。