2005/4/8 卯月八日 April Eighth



久々に深夜帯にかけて一気に日記を書いてみることにした。

思い起こせば日記を書き始めたのは約3年前、
パラレルワールド(当時の表現をそのまま使います)に突っ込んでもがき苦しんでいた。
今なお、パラレルワールド論を使おうとは思わないが
現在の状況が、どうもあの頃と重なって見えるのだ。

さて、昨日の日記を書き終わって、学生部の方のセリフを少し思い出した。
「おそらくサークルに入らないと友達はできないでしょうけど(以下略)」
という一文だ。発言者の趣旨としては、
「サークルに入って楽しい学生生活を送ってください」
ということなのだろうが、裏を返せば、
「サークルに入らなければ、余計な人間関係を構築しなくてすみます」
ということにもなるはずだ。
もっとも、大学生活を送る上でわざわざ人間関係の構築を拒絶する理由はあまり見当たらない。
ただこちらも、大学生活を途中で中断しようと目論んでいるなら話は別だ。

さて、北大の受験日の次の日の、北大スレにこんな書き込みがあった。

(以下 『【自分を】北大受験生(゚Д゚)Part56【信じろ!!】』スレの696より引用)
 
 >試験ができなかったあなたへ
 
 合格発表の日、自分の受験番号がなかった。 
 このとき、泣いてもいいです。 
 涙がでてくるのは、一年間必死に頑張ったからです。 
 
 浪人する人。 
 「また一年か…」と思うでしょうが、実質半年しかありません。 
 だらけたり、勉強のやる気がなかったりする時期があるからです。 
 今からゴリゴリやれと言うわけでないですよ。 
 あなたが合格発表の日に流した悔し涙、 
 勉強のときに流した涙、 
 今度の合格発表のときに、嬉し涙を流すことを祈ってます。 
 
 
 他大へ行く人。 
 一年後の自分を想像してください。 
 あなたと友達になりたがっている人、 
 あなたを恋人にしたがっている異性、 
 あなたに情熱的に学問を教授してくれる先生がいます。 
 学生生活は、いろんな人との関わりでできるもの。 
 一年後、果たして、「仮面浪人する!」とあなたは言っているでしょうか? 
 その答えは一年後になったら分かります。 

(引用終わり)

これの『他大へ行く人へ』の部分を解釈すると
確実に再受験を行おうとするなら人間関係は深入りしない方が良いということ。
そういう意味ではサークルに入らなければ友人ができないというなら一石二鳥だ。
友人ができないのに恋人ができることなどは無いだろうし。
これについては私の場合、以上のような前提が無かろうが十分条件だろうけど。

待てよ?ということは、大学という組織の中で孤立した存在として生きろ、ということか?
人間関係を構築せず、最低限のコミュニケーションだけで済まそうとすれば必然的にそうなるだろう。
それなら一応全員が志望校という別の組織を目指している予備校や、
人との関わりは疎遠になったとしても、主だった阻害要因が見当たらない宅浪の方がまだマシかも。
よっぽど人付き合いがうまい人や、ズバッと切り捨てられる人なら別かもしれないが、
組織からスムーズに離脱できるようにしておくのと、
組織内で円滑な人間関係を築くのを両立するのは困難だろう。

さらに、これ以外にリソース配分の問題もあるわけだ。
受験勉強と大学の授業の両立、だが上位大学の入試試験はそんなに生ぬるいものでは無いし、
(仮に生ぬるかったとしたらとっくに合格しているはずだし)、
かといって受験勉強ばかりしていると大学の単位が取れない恐れがある。
受験がうまくいくのなら単位が取れなかろうが関係ないが、
最悪の場合不合格&進級不可のダブルパンチを浴びかねない。
こう考えると仮面浪人って、
『現学年での大学卒業という保険をかけた浪人』のために使うのは困難そうだ。

今やっと、立命館に送られた友人の言っていた事の理由が少しだけわかった気がする。
大学生という一応の社会的地位があるから、ただの浪人生よりよっぽど楽じゃないか、
そう思っていた私の考えは甘かった。この場を借りてお詫び申し上げます。(誰に?)

おそらくここまで閲読された方は、私が来年また再再再挑戦(受験回数からすると再は一個か)
するものだと思われたことだろうが、私は来年になったらまた受験して、
上位の大学を目指したいかと言えば、そう言いきれるわけでもない。
今が2年前なら、間違いなくそっちのカードを切っているだろうが、今となっては
2浪で北海学園を卒業するにしろ、3浪又はそれ以上でそれ以外の大学を卒業するにしろ
短期的に見ると、負債だらけの時を過ごすことは確実だ。
それならいっそ司法試験に的を絞って駆け抜け、中期以上での活路を見出した方がいいのかもしれない。
(もっとも司法試験に合格できるくらい努力できるならこんな状況に無いわけだが)

さて、こんなことを書いていたら6時になってしまった。
9時からガイダンスがあるというのに、どうしようか?
経験上、睡眠なしだと厳しいので、寝られるだけ寝ておく。


行く途中、幼稚園の前を通ると、ちょっと親に手を引かれた子供が見られた。
幼稚園も入園式の季節か。親と一緒に通う子供達もみんな楽しそうだ。
これだけ見ていると微笑ましい光景なのだが、車道側を見て一気に興ざめした。


これは何?何とかならんか?

平岸街道の路上駐車は珍しくないとはいえ・・・・・・駐車場が無いところに、自家用車で来るなよ。
どうしてあいつらは、子供の学校のイベントに行くのに自家用車で行くのかな?
そういや小学校の運動会などでも、付近の道路に路上駐車する馬鹿どもが多く、
「こいつら、駐車禁止の標識が見えないのか?」
と小学生ながら思っていたものだ。
そして中学生の時に、母校の小学校の運動会の時期に合わせて違法駐車中の車に、
片っ端からとある悪戯をした記憶がある。内容は伏せておくが。

本日もガイダンスが始まる直前に入室すぐさま諸々の手続きなどについての説明が行われる。
簡単にまとめると、
「早いうちに単位取っておけ」
「法律系の基礎科目はなるべく取れ」
「教師に積極的にアプローチしろ」
ということのようだ。
確かに卒業を容易にするなら、早いうちから法律系の科目を重点的に取った方がいいようだが
踏み台として利用するなら、互換性の高い教養科目の方が良い様に思える。
とりあえず、持ち帰って熟考を要す、だな。


ガイダンス終了直後の様子

この後は教職課程ガイダンス、体育実技ガイダンス、英語履修ガイダンスなどがあるらしいが
出席必須では無いらしい。さっさと帰宅して睡眠時間を確保したいが
とりあえず次の教職課程ガイダンスでも出てみるか。

少し周囲をうろついた後教室に戻ると、先ほどよりかわいい女の子の割合が増えている。
きっと人文学部の方々でしょうな。

まず資料を見ると北海道、高校の社会科教師の採用試験の倍率は
地理歴史が110倍、公民が84.3倍らしい。
倍率があてにならないことは、資格試験を通してわかりきっていることではあるが
合格率1%程度というのは、数字としては強烈なインパクトがある。
となると、アベジョー氏やExit氏とかソクラテスマニア氏とかは
この厳しい選抜を掻い潜ってきた選ばれし者なのか。
最も、先人らが採用試験を受けた時代にこれほどの倍率があったのかは知らないが。

最初に卒業のための単位とは別で、この課程を取らない人より忙しくなるという話がされ
その後設けられた休憩時間(というより選別用ですな)で、半分近くの人たちが退出していった。
何故か私の周りだけ一気に人口密度が下がった(ような気がする)。

私はせっかく来たので、最後まで聞くことにした。
作成しているWebページの関係上、教員免許の取得についての説明を聞いておいて損は無い。
そういや『死格情報』の項目を作成していないなぁ。

そこで新たに資料を貰ったが、それの中身がなかなかと面白かった。
教育実習の項の最後に
『嫌われる教師とはどんな教師か、現場から学んでくること』
という一文があった。教育実習でも、クソ教師は反面教師にしろ、ということだろうか?
高校の時に居た授業をサボタージュする教師や、禁煙場所で喫煙する教師、
一部の生徒ばかり贔屓する教師などが脳裏に浮かび上がった。
さらにガイダンスの中で、36年間高校の教師をしていたという人から話を聞くことができた。
教え子が活躍するのを知るのが教師の醍醐味だと言っていた。
他には、今までに会ったいろいろな教師の例を揚げてくれた。
それによると全くやる気が無い教師、何を考えているのかわからない教師など
おかしな教師はどこにでも少しはいるみたいである。

さて、私の“死”格的観点からすれば、教員免許は是非取得したいけれども、
仮面の二面待ちをかけるとするなら不経済ではあるわな。
さらに冊子の中にはこんな一文もある。

(以下引用)

教育実習について、実習校から強い要望が出されている。それは、免許状だけを取るために実習
にくる安易な学生がいることに対してである。(略)

(引用終わり)

これは明らかに死格マニアへの牽制だ。いや、その意味も多少はあるだろうけど、本当の趣旨は、
「とりあえずとっとけ、という適当な気持ちではなく、真剣な態度で臨んでください」
ということだろうが。

でも私としては、もし教師になるとするならば、社会科ではなく、理科教師がいいですな。
何故かって、それは勿論、授業中に生徒に問題演習させておいて、
自分は「じゃあ休憩するかな」とか言っていればいいんだから
というくだらない理由ではありません。
深く考えれば、それはそれで存在価値がありますけどね。
とりあえず、ここで説明できるほど具体的な理由は無いけど、
中学校の時の理科教師の言葉を借りるならば
「授業を通じて理科が好きな人が増えてほしい」
からかな?漠然としすぎていますが。
ただ、残念ながらこの大学では、たとえどの学部を出ようとも理科教師になることはできないようだ。
最も、法学部や経済学部などから理科教師になることができても困るけど。
ということで、いろいろ考えた結果、教職課程は取らないことにする。

このガイダンスが終わって廊下に出ると、またまたすごい混雑。
しかも出る人と入る人が入り乱れて、さっきよりも通路の輻輳がひどい
大学という施設は、人が多い割には通路の容量が貧弱なのは仕様なのだろうか?

この後のガイダンスは聞かずに帰る事にする。
高校の英語ですらボロボロな私が、大学の英語の授業を取った所で無駄だろうから。
どちらにしろ自主的に学習しなければならないことは確かだろうが。

アマチュア無線技士の試験が明後日に迫っている為、
帰路の間もモールス信号の練習をすることにする。
私がモールス信号の学習の手引きとして使っているサイトに

空き時間にモールス信号のパターンを口ずさんで練習するのも効果的です。
歩きながら、道端にある看板などの文字をモールス信号に変換するのもいいでしょう。

とあるのだが、今までやったことが無かったので、それを試してみようと思ったのだ。
ということで、アルファベットを見かけるたびに、片っ端からモールスにしていく。
今の世の中、あちこちにアルファベットが蔓延っているので困らない。
が、ツー トトトト トツー ツート ツートツー トトト などと言いながら
歩くことになるので、すれ違った人が、なんだこいつはというような顔をする。
ある意味、謎の歌を歌いながら歩いているオッサンより危ないかもしれない。
そういや、そのページにも注意事項として

他の人がいるところで練習すると、変な人と間違われるので気をつけましょう。

と書いてあったような気がする。
それ以前に、目にするアルファベットが多すぎて、足がなかなか進まない。
できるだけ文字を見ないように帰ろう。って、これでは何の意味も無いな。


上の方で、日記を書き初めたのは約3年前という話があったが、
せっかくだからこれを機会に3年前の自分の日記を読んでみた。
そして以下の言葉を3年前の自分へ送ります。

「ごめんなさい」
「申し訳ありません」
「すみませんでした」
「ご勘弁ください」
「ご容赦願います」
「お詫びの言葉もありません」

3年後の自分とは、お互いに「ありがとう」「よく頑張ったね」と言い合える未来でありたい。
たとえ北海学園に居るとしても、どこか別の世界に居るとしてもね・・・・・・。